藤田敏八が見出したミューズ秋吉久美子の魅力が光る。
「赤ちょうちん」(1974日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 無目的且つ自堕落な青春を送る青年修は、駐車場に勤めながら都内のボロアパートに住んでいる。アパートが取り壊されることになり行き場をなくした彼は、恋人幸枝の部屋に転がり込んだ。暫くして前の住人を名乗る中年男が訪ねてきた。病気を患っているという勝手な理由で、彼はずうずうしく部屋に居ついてしまう。彼を不憫に思った幸枝は優しく接してやるが、修は二人だけの愛の巣を奪われた感じがして不快になった。ある日、職場の先輩に誘われて皆で海に出かけることになった。修は邪魔な中年男を連れて行き、その場で暴行し置き去りにしてしまう。やがて、幸枝は妊娠する。子供を育てる自信が無かった修は堕胎を勧めるが、幸枝は頑なにそれを拒み出産した。新しい家族に恵まれた彼らは、新居に引っ越して心機一転頑張ろうとするが‥。
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(レビュー) 慎ましくも幸せな暮らしを送る若いカップルの成長を、時にコミカルに時にシリアスに綴った青春映画。
監督は藤田敏八。主演は秋吉久美子。このコンビは「妹」(1974日)、「バージンブルース」(1974日)に続いて3度目の顔合わせになる。この3作品は藤田監督の青春三部作と言われている。
俺はこれまでに「妹」を見たことがあるが、両作品を比較してみて色々と面白い共通点が見つかった。まず、両方とも当時の若者の等身大の姿がリアルに画面に投影されている。これは青春映画作家・藤田敏八監督の一つのカラーと言える。改めて今見てみると画面に登場する当時の世相がどこか懐かしく、そして新鮮に写ったりもする。
同時代性を感じさせるという意味で言えば、当時のシラケムードというのも両作品に共通するキーワードだと思った。「妹」の主人公にしろ、本作の主人公にしろ男達は無目的に生きている。これは正に当時のシラケ世代を反映させたものであろう。
一方で、彼らを立ち直らせるべく影で支えるのが、両作品に共通するヒロイン秋吉久美子である。彼女は快活で、奔放で、積極的で行動力のある女性として描かれている。だらしない男主人公を支える強い女性で完全に男の上を行くキャラクターとなっている。このキャラクターは、女性が世間に進出し始めた世相とリンクして語ることが出来るかもしれない。ただ、最終的に彼女は家庭に収まり、強い母親になる事を考えれば、むしろ古風な女性と捉えることも可能だ。いずれにせよ、本作も「妹」も女性上位の映画と言う事が出来よう。
また、両作品とも主題歌をかぐや姫が歌っていることも共通している。「赤ちょうちん」も「妹」も、必ずしも歌詞のイメージと物語の内容がそのまま合致するわけではないが、作品のモティーフになっていることは各所で感じられた。
尚、藤田監督はこの青春三部作以外に、アリスの「帰らざる日々」(1978日)や井上陽水の妻としても知られる石川セリの「八月の濡れた砂」(1971日)等、流行歌とリンクさせた作品を何本か撮っている。歌は世につれ、世は歌につれ‥なんて言葉もあるが、歌詞に込められた作品世界をモティーフにして映画を撮る事は、彼の創作活動の大きな狙いだったのだろう。一連の作品から時代の“臭い”みたいなものが如実に感じられる。
作品のテイストは、基本的にはライト志向に寄っているが、後半からシリアスに傾倒していく。テイストの緩急をつけながら上手く物語が転がされていると思った。
そして、ユニークなのは修と幸枝の同棲を描く物語なのに、まるでロード・ムービのような作りになっていることだ。二人は転々と引っ越しながら、山あり谷ありの人生を歩んでいく。これも狙いとしては面白い。
尚、彼らは途中で様々な人物に出会うのだが、これらサブキャラにも面白いものが見つかった。例えば、長門祐之演じる謎の中年男と樹木希林演じるアパートの意地悪な管理人、彼らはどちらも一筋縄ではいかない曲者で物語を上手くかき回している。
オチは虚無的に締めくくられていて、おそらく見た人の多くが意外に思うかもしれない。個人的にはまさかこういうオチに持っていくとは予想できなかった。少しファンタジックで不思議な鑑賞感が残る。こういうテイストで終わる青春映画はちょっと珍しいのではないだろうか。良い意味で期待を裏切ってくれたという感じである。