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白いリボン

ほぼパーフェクトな映像に感嘆。非凡なミステリ・センスに唸らされる。
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「白いリボン」(2009仏)star4.gif
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ)
 第一次世界大戦の前年。夏の日差しが照りつけるドイツの小村で事件が起こる。村のドクターが、誰かが仕掛けた針金に引っ掛かって落馬して骨折した。その直後、製材所で働いていた小作人が転落死する。立て続けに起こった事件は村人達を不安に陥れた。やがて、秋になり地主の邸宅で収穫祭が催された。村人達は陽気に騒ぐが、その傍らで再び事件が起こる。何者かによって畑が荒らされたのだ。更に、その夜地主の息子が暴行を受けた。次々と起こる不可解な事件に、村人達は再び疑心暗鬼になっていく。一方で、村の敬虔な牧師一家にも事件は起きていた。帰宅が遅くなった長女クララと長男マルティンが、厳格な父に体罰を受け、自省を促す純真を意味する“白いリボン”をつけることを強制される。
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(レビュー)
 不可解な事件に襲われる村を舞台に、人間の驕りと嫉妬、猜疑心を鋭く炙り出したヒューマン・サスペンス作品。

 監督・脚本はM・ハネケ。この監督の作品では、ハイミスと青年ピアニストの愛憎を描いた「ピアニスト」(2001仏オーストリア)という作品が強烈に印象に残っている。ただ、ハネケ監督の本領が発揮されるのは、本作のようなサスペンス映画なのかもしれない。未見であるが「ファニーゲーム」(1997オーストリア)は傑作と誉れ高い。アメリカ資本で監督自らリメイクもしている。そしてもう1本、この監督の代表作として知られているのが「隠された記憶」(2005仏オーストリア独伊)という作品だ。非凡な作風から賛否両論を巻き起こした問題作である。そもそも、謎が明確に解明されないまま終わるという幕引きからしてキワモノ的だ。答えは与えられるものではなく、観客が考えて導き出すもの---これがハネケ流ミステリー映画のツボなのである。そのツボを知らずに見たからか、「隠された記憶」は今ひとつ釈然としない思いで映画館を後にしたものである。しかし、今回はそのときの経験で耐性が出来ている。今回はどんなミステリーが出されるのか。面白く見る事が出来た。

 今回、特筆すべきは複雑に入り組んだ人物相関である。「隠された記憶」は一組の夫婦を中心にしたドラマだったのに対して、今回は登場人物の数がやたらと多い。まず、村の半分を支配する地主一家がいる。昔の貴族の名残であろう。小作人を抱えながら大きな屋敷に夫婦と息子と住んでいる。そして、屋敷の敷地内には彼に雇われている家令一家が住んでいる。主人に忠実な僕である。村には敬虔な父が強権を振るう牧師一家。たくさんの子供を抱えて苦しい生活を送る小作人一家。そして、二人の子供を抱えるドクター、彼の助手として働く助産婦、人の良い学校教師等が住んでいる。

 このうちドラマの中心となるのは学校教師である。物語は彼のナレーションで回想形式で進んでいく。閉塞的な環境には付き物の格差、そこから生まれてくる憎しみと数々の悲劇的事件が、彼の視点で綴られていく。

 村人の中で最も重要となるキャラは、牧師の長女クララと長男マルティンである。厳格な父の躾によって、彼らは白いリボンをつける事を強制される。ちなみに、この白いリボンには、純真、純潔、正義といった聖性のシンボルが込められている。いかにも敬虔な牧師らしい教育方針だが、一方で人権を無視した度を過ぎたものにも感じられた。物語の時代設定を鑑みれば、牧師の強権には明らかに後のナチズムの影がちらついてしまう。強制収容所の囚人達は逆三角形のバッジを個々につけさせられた。二重三角形はユダヤ人、赤い三角形は政治犯、ピンクの三角形は同性愛者等々。これは、支配の印、非人間性、従属を表すものである。この映画に登場する白いリボンは、正にそれと同じ意味を持つものではないだろうか。加虐者と被虐者の関係を結ぶつけるものとして、この白いリボンは残酷にも存在している。

 実は、大人が子供を抑圧するというのは、「隠された記憶」の中にも登場してきたテーマであり、監督はよほどこのテーマに何らかの思い入れがあるのかもしれない。宗教を翳して子供達を抑圧する牧師のこのやり方には、大人の傲慢さに対する監督のはっきりとした批判が込められている。威厳を保つために、あるいは子供を守るという建前から、大人は子供を支配し権力を振りかざして自己の優位性を実証させる。これは不安や恐れからくる大人の性癖なのではないか‥。そんなことすら感じてしまった。

 物語は、そんな大人たちをあざ笑うように不可解な事件が次々と起きながら展開されていく。ドクターの落馬、小作人の転落死、傷害事件、放火事件等々。誰が犯人なのか?動機は何なのか?唯一、畑を荒らした犯人だけは特定されるが(画面上に出てくる)、それ以外は何も分からず、村人達は互いを疑いの目で見、不安な気持ちに襲われていく。しかし、考えてみれば、これだけ小さなコミュニティで犯人が分からないというのは、どう考えてもおかしな話である。これは想像だが、村人の中には犯人を知っていて敢えて口をつぐんでいる者もきっといるはずだと思う。いずれにせよ、一連の事件には共通して被虐者による加虐者に対する復讐が存在しているのではないかと想像できる。人が人を支配することで起こる恐怖の連鎖とそこから生まれる敵対心。人間の愚かさと言ってしまえばそれまでだが、これは人間社会において決して無くなることのない自明的現象なのだろう。

 尚、本作はカラーフィルムを使って敢えてモノクロ風に仕上げられた作品である。この意味についても色々と想像できる。舞台となる村は冬になると雪が積もりとても美しい情景に包まれる。しかし、白いリボンが意味するところと同様に、ストイックに突き詰められた眩いばかりの白い情景は、恐怖と憎しみに捉われた村の実情によって、かえって儚く虚しいものに見えてくる。純真、潔白をイメージさせる“白”が強調されることで、そこで繰り広げられる人間の争いが残酷なものとして浮かび上がってくる。
 また、この物語全体が教師の回想ドラマであることを考えれば、過去の記憶をモノクロに漂白し“再現した”とも取れるだろう。監督が何故モノクローム表現にこだわったのか。その理由についても興味深く推察できる。
[ 2010/12/25 14:17 ] ジャンルサスペンス | TB(0) | CM(0)

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