牧歌的なジブリ的風景にシビアなテーマが合わさった名作。
「絵の中のぼくの村」(1996日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 絵本作家・田島征三が双子の兄征彦の家を訪ねる。二人は幼い頃に描いた絵を見ながら当時の思い出に浸った------昭和28年、小学生の征三と征彦は、教師をしている母と中学生の姉と高知県の山村に住んでいた。離れには頑固な祖父が住んでおり、父は単身赴任で家を空けていた。征三達は大好きな川釣りをしたり、畑を荒らして怒られたりしながらすくすくと育っていった。ある日、クラスにセイジという転校生がやって来る。彼は盗んだうなぎを売って暮らす孤児だった。征三達は何故か彼に好かれて付きまとわれるようになる。一方、征三達の描いた絵がコンクールに出品された事で、担任の母はえこひいきをしたと周囲から批判を受けた。だが、母はそれを毅然とした態度で一蹴した。やがて、夏休みに入ると征三は扁桃腺で入院する。いつも一緒だった兄弟は初めて離れて暮らすことになり‥。
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(レビュー) 絵本作家田島征三の自叙伝の映画化。少年時代の思い出を美しい田園風景の中に綴った詩情溢れる逸品である。朴訥とした語らいに癒される。
映画は幼い征三と征彦の目腺で綴られるスケッチドラマで、様々な事件、人間関係が広範に登場してくる。まるで児童文学書のような愛しさに溢れており、大人になった征三達の回想構成が、この物語を永遠に消えない記憶の宝物のように見せている。今では見られなくなった古き田舎風景にはある種神秘性すら感じられ、ジブリ映画に存在するような独特なムードは魅力的である。
主演をつとめる双子の少年たちは演技未経験ということである。自然体なところがかえって奏功し、彼らのやり取りは実に瑞々しく映る。川釣りに行った帰りに仲良くバケツを持って歩く姿が印象に残った。
また、川べりで行われる喧嘩には、演出の域を超えたリアルさが感じられた。泣きながら本気でひっぱたくのでちょっと度肝を抜かされるが、たわいもない事で喧嘩をすることは子供時分にはよくある事で、何だか微笑ましく見れた。
また、村の守り神(?)と思しき3人の老婆は極めて非現実的な存在で異彩を放つ。彼女等は村人たちの悲喜こもごもを傍観しながら井戸端会議に興じている。どこかとぼけた味わいを醸していて面白い。そもそもこの映画は子供時分の体験談を回想する物語であり、本当にあったこととは断定しにくい。この老婆達のようにファンタジックな世界が混入されるのもそのせいだ。征三達が森の中で見る怪現象も「となりのトトロ」(1988日)や「もののけ姫」(1997日)に登場したファンタジックな情景を想起させ、もはや作り話のようにさえ写る。ちなみに、魚の心情をテロップで表現するのも、動物に人語を喋らせるアニメ独特の表現方法と同様のものでユーモラスである。本作はこうしたファンタジー演出が随所に登場してきて見る側を楽しませてくれる。
作りは基本的にコメディ色を強く打ち出しているので、大変見やすい。子供から大人まで幅広く受けそうなファミリー・ムービーの要素を持ち合わせている。
ただ、一方で双子の成長というテーマもしっかりとドラマの中に低通させており、通り一辺倒なファミリー・ムービーとは一線を画す奥深さも持っている。征三の扁桃腺は、それまでいつも一緒だった双子を引き離すという意味で、彼らの独立。つまり、大人への段階的な成長を描いたエピソードである。これは主として肉体的な成長を意味するものであるが、一方でこの映画は精神的な成長についても描いている。
例えば、この映画はセイジを終始異端者として扱っているが、ここには社会的差別というシリアスな現実問題が投影されている。前半の母親は征三達が畑を荒らしても怒ったりはしなかった。息子達の主体性を重んじ、割りと放任的な育て方をしている。しかし、セイジとの交流だけは頑なに禁じた。母がそこまでセイジを除外しようとしたのは、征三達に現実の過酷さを知らしめるために与えた試練だったのではないかと想像できる。
社会とは様々なしがらみがあり、差別、格差といった理不尽な価値基準の上に成り立っているものである。征三達もやがて大人になれば、その社会の枠組みの中に入っていかねばならない。そこでセイジのような異端者・落伍者と付き合えば、自分の社会的な立場は損失する可能性がある。いつまでも子供のままではいられない。そこはシビアに切り捨てなければならないのだ。セイジとの交友を厳しく禁じたのは、母なりの教育だったのではないかと思う。
この友情崩壊は見ていて辛く悲しいものがあるが、それによって征三達は社会というものを知っていく。つまり精神的に成長していくのだ。その後にこの映画にはもう一人の社会的落伍者が登場してくる。それは貧乏なクラスメイト、ハツミだ。このエピソードで彼らは一つの決断を下す。以前の彼らならこういう決断はしなかっただろう。これは明らかにセイジとの友情崩壊という苦い経験があったからこそできる大人の決断だと思った。彼らはこの瞬間に社会の枠組みの中に入った‥と解釈できる。
本作は表向きは回顧に浸る美しいドラマに映るが、成長には痛みを伴う‥という現実をはっきりと表明しており実に歯ごたえのある作品になっている。大人の鑑賞にも耐えうる名作と言っていいだろう。