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薔薇の葬列

アングラ・テイスト漂うカルト映画。
薔薇の葬列 [DVD]薔薇の葬列 [DVD]
(2004/02/27)
ピーター

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「薔薇の葬列」(1969日)star4.gif
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ)
 ゲイ・バーで働くエディは、ママの愛人で店のオーナー権田と肉体関係を持った。実は、権田は店の裏で麻薬密売をしている。エディはそれを知っていて、麻薬をくすねてもう一人の恋人である自主映画を撮っている青年に横流ししていたのである。ある日、帰宅途中でエディは不気味な白昼夢を見る。それは奇妙な葬列が街頭を練り歩く光景だった。エディはそれを見て気絶した‥‥目を覚ますと彼は薄暗い画廊にいた。
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(レビュー)
 アヴァンギャルドな作風で知られる松本俊夫監督の怪作。エディを演じたピーターの小悪魔性が印象に残る作品で、本作が彼の映画初主演作となる。

 物語はかなり無軌道に展開される。ストレートにドラマを語ることを極力否定しており、監督の感性に即した実験的且つ時間軸を無視した脈絡の無い映像のパッチワークで構成されている。いわゆる商業映画とは一線を画す難物で、こういのは客観的な評価をしづらい所がある。例えるなら、先頃見たG・ノエ監督の「エンター・ザ・ボイド」(2009仏)のようなトリップ・ムービーのごとき作品で、ビジュアルがその人の感性に合うかどうかで評価が分かれてきそうである。

 実験的と言えば、画面を占有するタイポグラフィーの挿入やBGMをぶつ切りにした演出は、明らかにJ・L・ゴダールの作品からのアイディア流用に感じられた。ゴダール作品を見ていれば、この辺りは画期的・先鋭的とまでは言えない。ただ、確かにセンスの良さは随所に伺え、今見てもかなり刺激的で面白い。

 また、映画が始まって30分くらい経ってだろうか、突然今までの物語が劇中劇だったという事が判明して驚かされる。今までの物語は<映画の中の映画>だったとする事で、映画の中の<現実>は一気に<虚構>に転じる。この意表を突いた展開に、創作者としてのエゴイステイックなユーモアが感じられるが、同時に真面目にドラマを追いかけてきた者に対する大胆な挑発行為にも取れる。常に表現者たらんとする上で、何か刺激的なものを‥という心意気は作家にとっては大切なことだと思う。そういう意味では、松本俊夫がいかに過激な作家性を持っていたか、それがこの劇中劇という構成から確認できる。その後も撮影風景を捉えた<現実>と、物語の中の<虚構>を交錯させながら映画は展開されていく。

 ただし、忘れてならないのは、この2年前に今村昌平が「人間蒸発」(1967日)という作品を撮っていることだ。「人間蒸発」は失踪した男を探すドキュメンタリー撮影隊を追った物語だが、ラストは衝撃的なオチが待ち受けている。これこそ<現実>が突然<虚構>に摩り替わる意外などんでん返しであり、本作で見られるトリッキーな構成はすでに「人間蒸発」で披露されているのだ。
 他にも、現実と虚構の曖昧さ、その狭間を行き来することのエクスタシー、さらに言えば映し出された瞬間から対象物は「死」に至るという、映画における「生」と「死」の関係性といったものは、度々見られるものである。例えば、寺山修二の監督デビュー作「書を捨てよ町へ出よう」(1971日)でも、映画の中のドラマの“虚構性”が訴えかけられていた。そもそも作家という職業は、現実と虚構の狭間で揺れ続けながら常に作品を創作し続けていかなければならない運命にある。ゆえに、現実の虚構性、あるいは虚構の現実性というテーマは何か琴線に触れるものがあるのだろう。

 尚、本作のラストは中々インパクトがあった。人間の弱さ、愚かさをグロテクスにビジュアル上に焼き付けたところに衝撃が走る。

 また、淀川長治や篠田正浩、蜷川幸雄等といった業界人が多数特別出演しているのも面白い。と言っても、画面を見て分かったのは淀川長治だけだったが‥。
[ 2011/02/12 03:41 ] ジャンル人間ドラマ | TB(0) | CM(0)

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