S・ポワチエの人間味溢れるキャラが良い。哀愁漂う結末も◎
「野のユリ」(1963米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 放浪中の黒人青年スミスは、途中で修道院に立ち寄る。そこには、はるばる東ドイツからやって来た尼僧達がいた。院長から屋根の修理を頼まれてスミスは手を貸してやる。ところが、仕事はそれだけで終わらず、教会の建設や運転手までさせられることになる。初めは嫌々やっていたスミスだが、彼女等と交流していくうちにそこが安住の地となっていく。
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(レビュー) 流浪の黒人青年と尼僧達の交流をほのぼのとしたタッチで描いた小品。
スミス役を演じるのはS・ポワチエ。彼は本作で黒人初のアカデミー賞主演男優賞を受賞した。尼僧達に英語や歌を教えたり、差し入れをしたり、親切で人の良い青年をコメディライクに演じ、誰が見ても好感の持てる人物像になっている。これならオスカー受賞も納得という感じがした。
ただ、個人的には「夜の大走査線」(1967米)のタフな刑事役も捨て難い。彼のベストの演技は?と聞かれたら、俺は「夜の大走査線」の方に軍配を上げたい。尚、その年は白人警察署長を演じたR・スタイガーの方にオスカーが渡ってしまい、ポワチエにとっては残念な結果となってしまった。保守的なアカデミー協会である。これも仕方がない‥と言えるかもしれない。しかし、そんな保守的なアカデミー協会を唸らせたのが今作である。黒人に初の主演男優賞をもたらした今作はポワチエにとっても、そしてアメリカ映画界にとっても記念碑的作品となった。
本作の見所は何と言っても彼の演技。そして、彼と対立する院長の造形。これに尽きると思う。
人の良いスミスは院長の強引な引止めに教会に居座ってしまうのだが、この関係が面白く見れる。スミスは熱心に働くのだが、院長はその働きに感謝しないどころか逆に厳しい態度を取り続ける。神への奉仕だから当然だと言い放つのだ。これだけ一所懸命尽くしているのに何故こんな仕打ちを受けなければならないのか?と、スミスは当然反抗していく。院長の何者にも屈しないこのストイックな造形は見事で、スミスとの対立ドラマを大いに盛り上げている。
一方、スミスのバックストーリーは具体的に描かれていないが、ある程度想像することが可能である。宿無しの身であること。夢を持てずにいること。黒人であること。これらを併せ考えると、彼の中には“孤児性”が確認できる。彼はさすらいの旅に出て、ようやく安住の地である修道院に辿り着いた。そこで院長=マザー、つまり母親の温もりに初めて巡り合う。つまり、このドラマは孤児が母性を獲得していく‥というドラマになっているのだ。度々衝突を繰り返すことで二人は深い絆で結ばれていく。
そしてもう一つ、当時の世情を考えると、この関係に資本主義と共産主義のイデオロギーの対立を見ることが出来る。
本作が製作された前年には世界を震撼させたキューバ危機が起こっており、俄かに東西の緊張が高まりを見せ始めていた頃である。スミスはメキシコ人と陽気に酒を飲みながら自分はアメリカ人だと豪語する。一方、尼僧達は東ドイツから亡命してきたという過去を背負い、極めて禁欲的な暮らしを送っている。スミス=資本主義と尼僧達=共産主義という対立に、当時の東西冷戦の構造を読み取ることが可能である。
このドラマは、表立ってはスミスと院長の対立→融和に焦点を当てたシンプルなヒューマンドラマだが、深く読み込んでいけば信仰の危うさ、世界情勢を例えた社会的な問題なども読み解ける。非常にストレートで取っ付きやすいストーリーながら、奥深さも併せ持った極めてクオリティのドラマと言っていいだろう。
ただ、シナリオ上、後半の展開にはやや性急さが感じられた。人々の善意が尼僧達の逆境を救うという流れになっていくのだが、この善意には何か特別なきっかけがないと単なるご都合主義に写りかねない。ここは説得力が欠ける感じがした。もう少し練り込んでほしい。
もっとも、その後の哀愁漂う幕引きは良かったが‥。
伏線の利かせ方も抜群に洒落ていてホロリとさせられてしまった。終わり良ければすべて良し‥である。