でんでんの怪演にポカーン‥
「冷たい熱帯魚」(2010日)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 2009年1月14日。平凡で実直な男、社本は小さな熱帯魚店を経営しながら、再婚した妻と娘と暮らしていた。ある日、娘が万引きしたというので、妻と一緒にスーパーに迎えに行った。そこで村田という同業者に出会う。彼の助言のおかげで事が丸く収まり、一家は感謝した。その後、村田に招待されて店を見学することになる。社本は店の大きさに驚いた。彼は熱帯魚経営で成功を収めた人物だったのである。気前の言い村田は社本の娘を店の従業員として雇うと言い、高級熱帯魚の共同ビジネスをしないかと申し出た。妻はこの機会を逃すまいと社本にその話を勧め、彼は引き受けた。しかし、それは村田の恐るべき陰謀の始まりだったのである。
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(レビュー) 実際に起こった埼玉愛犬家殺人事件をベースに敷いたサスペンスドラマ。小心者の男が連続殺人事件の共犯者になっていく様を、独特のユーモアと過激な残酷描写で綴った作品。
この事件については実のところよく知らなかったのだが、後から調べて本作との違いが色々と見つかった。基本となる設定は一緒だが色々と改変が見られる。一番の改変は社本家が抱える愛憎ドラマである。社本は村田の殺人の共犯者として強引に取り込まれていくのだが、そこに説得力をもたらすために再婚の妻、娘との確執が動機として組み込まれている。この改変は成功しているように思った。
テーマは父性の絶対性といった所だろうか。社本と村田の関係にこのテーマが読み取れる。
二人は夫々にニュアンスは異なるものの、“父子の断絶”という人生を背負っている。
社本は気弱で情けない父親で娘からいつもバカにされている。要するに完全に父親失格な男である。
対する村田は、過去のある出来事によって父性に対するトラウマを植えつけられている。情けない社本を村田は度々ガツンと諌めるが、それは過去のトラウマを社本に見てしまうからであり、そこに村田の辿ってきた人生を垣間見る事が出来る。彼がいかにして連続殺人鬼になってしまったのか。その理由も社本との関係からよく分かる。
そして、社本と村田の関係は、丁度父性に怯える泣き虫息子と父性を翳すスパルタ親父のような関係に見えてくる。ここに父性の絶対性というテーマが伺える。
ラストは、避けたかった‥という思いと、そうなる他ないだろうという納得。二つの矛盾した感情が胸中に渦巻いた。と同時に、おそらくは観客のほとんどは社本の目線で物語を追いかけることになり、彼のキャラクターアークを今の自分の生き方と比較する事で、果てしない自己問答の淵に叩き落されそうな気がする。底のない沼にはまってしまったような、そんな感覚に捉われるのではないだろうか?
監督・脚本は園子温。父性の絶対性というテーマは
「愛のむきだし」(2008日)でも登場していたが、今回はよりストイックにそれが突き詰められているような気がした。また、それに付随して宗教というオブセッションも登場してくる。これも「愛のむきだし」で扱われていたテーマである。そういう意味からすると、本作は「愛のむきだし」とリンクする作品と言えるかもしれない。
演出は今回は特に大きな変化球はなかったが、少しだけ園監督らしいアッパーさは見られた。例えば、オープニング・タイトルなどは、これからとてつもない物を見せるから覚悟しろ‥というような監督からのシグナルに感じられた。これはG・ノエがよく使う手法に近い。
また、小ネタも色々と面白いものが見つかった。村田の店で働く女性従業員のコスチュームは、昔のアメリカ映画に登場してくるような田舎臭さで、はっきり言って浮いているとしか言いようが無い。ヤクザや刑事もいかにも‥という風体で至極明快である。無論、これらは敢えてやっているのだろう。こうしたチープさも園監督作品の特徴だと思う。狙いとしては面白い。
また、セックスシーンにも独特の面白味が感じられた。
本来、熱度の高いセックスであるが、カメラはその行為を中途半端に突き放しながらドライなタッチで切り取っている。例えば、これは「愛のむきだし」からの繰り返しになるが、勃起したまま死ぬとか‥ほとんどコントみたいな演出が登場してくる。かなりブラックなギャグである。
また、娘が気絶している傍で社本夫婦がセックスに勤しむ絵面は、残酷であると同時に滑稽でもある。
ここまでセックスを突き放して描いて見せるとは、おそらく監督自身が相当セックスというものをニヒルに捉えているからに違いない。愛とは肉体の繋がりだけでは得られない‥というニヒルな思考である。逆に言えば、愛は精神的な繋がりによってしか確かめられないものである‥という言い方も出来る。案外、監督はロマンチストなのかもしれない。
シナリオ上の綻びが幾つかあったのは残念だった。全体的に説明不足な部分が多い。冒頭で実話ベースとうたっていることから、観客がある程度元になった事件について知っているということを前提に作られているのかもしれない。しかし、この事件に疎い俺のような人間もいる。村田夫婦の経歴や事件の周辺事情については、もう少し詳しく描いて欲しかった。
また、社本の妻の心情が他のキャラに比べるとやや弱いのものに思えたのも引っかかる。彼女は村田に恫喝されて取り込まれていくが、それ以降の心理描写が希薄である。
また、終盤は時系列的に言ってかなり乱暴な展開で、そもそも何故妻と娘まであの場所に来ているのか納得のいく説明が無かったのは残念だった。
こうした情報不足、説明不足、不自然さが作品の完成度を若干落としてしまっている。
尚、共同脚本に映画秘法のアートディレクターにして“切株映画”の専門家、高橋ヨシキが参加している。スプラッター描写に対する愛ある(?)こだわりが映像化されており、苦手な人にはキツイだろう。ただ、一歩間違えれば悪趣味なスナッフ映像になりかねないショッキングな光景を、ここまで惜しみなく出した所に、映像作品としての“ハッタリ”が感じられた。元となった事件もかなり凄惨だったことを考えれば、忠実に描こうとしたのだろう。その意欲は買いたい。
キャストは夫々に好演していると思った。特に、村田を演じたでんでんの怪演は印象に残る。個人的には、村田と社本の支配関係を見て、「ブルーベルベッド」(1986米)のD・ホッパーとK・マクラクランの関係を想起した。あの映画のD・ホッパーのイッちゃった演技はかなりものだったが、今回のでんでんの演技もそれに引けをとらないくらい凄まじい。彼は芸能界の出だしがそうだったこともあり、本質的に“お笑い”の素養を持っている。基本的に村田はガハハ系オヤジなのだが、笑いの中に不気味な怖さを含ませながら特異な“怪物像”を作り上げていると思った。この役作りは大いに評価したい。ちなみに、彼の「ちょっと痛い!」には声を出して笑ってしまった。