政財界に鋭く切り込んだ力作。
「不毛地帯」(1976日)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 壱岐正はシベリアで11年もの間、拘留されていた。帰国後、暫く浪人生活を送っていたが、このたび日本最大の商社、近畿商事に入社することになった。彼の戦時中の経歴を社長は高く評価し、壱岐は巨大プロジェクトを任される。そのプロジェクトとは航空自衛隊の次期戦闘機の入札だった。戦争の記憶から逃れたかった彼は、この仕事に複雑な思いで取り組むことになる。
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(レビュー) 戦争の影を引きずる男が、政財界の“戦争”に巻き込まれていく社会派人間ドラマ。
原作は山崎豊子。監督山本薩夫。これまでに「白い巨塔」(1966日)や「華麗なる一族」(1974日)でコンビを組んだ両雄が、軍事産業に鋭く切り込んだ野心作で、正に満を持して放ったという感じの力作である。ただし、今回の映画では原作の前半部までしか描かれていない。とりあえず、ひとまずの答えを提示して終わるが、壱岐の戦いはまだ続く‥という形で締めくくられており消化不良な感は否めない。その後、後半部の映画化が同監督の下で企画されたらしいが、山本が1983年にすい臓癌で死去したために実現はされなかった。その代わりに、後半は前半部も含めて1979年にテレビシリーズとして映像化されている(未見)。
次期戦闘機の選定を巡って行われる国防会議に向けて、ドラマは一直線に盛り上げられており、その中で様々な人間模様がスリリングに描写されている。利権を食い物にする政治家やその恩恵に預かろうとする企業家、更にはスキャンダルを追い回すマスコミ等。こういった魑魅魍魎を相手に主人公壱岐の孤独な戦いがストイックに綴られている。
初めは戦争のトラウマからこの仕事に拒否反応を示す壱岐だが、相手は海千山千のつわものばかりである。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされると、なりふり構わず汚い手段を使って勝ちを取りに行く。それはまるで弾丸を金に変えただけの“戦争”とも言え、彼は忌むべき戦場に再び足を踏み入れていくようになるのだ。これは「白い巨塔」や「華麗なる一族」の巨大組織・社会に飲み込まれる主人公と一緒と言うこともできる。
それにしても、政界も財界もつくづく人脈と金脈が物を言う世界であると再認識させられる。役人の天下りなどは正にその典型であり、映画もその辺りのことについてかなり痛烈に批判している。時代にカウンターを食らわすと言う意味では、実に堂々たる社会派作品になっていると言える。
ただ、幾つか作りの甘さが散見されたのは惜しまれた。アメリカ・ロケが観光映画的な妙なノリになってしまったこと、いかにも作り物のセット、日本の撮影で誤魔化したと思しきシーンが見られる。山本薩夫はコミュニストであり、アメリカでの撮影が思うように出来なかったのかもしれないが、これらは明らかに作品の完成度を落としてしまっている。逆に、シベリアのシーンは中々の迫力があって良かった。これもおそらくは北海道辺りでロケしたのだろうが、極寒の地獄絵図が骨太に描写されている。
キャストは夫々に好演を見せている。特に、影の大物政治家を演じた大滝秀治の“狸”振りが良かった。
一方、壱岐を演じた仲代達也の演技には多いに不満が残った。いつもの“とぼけた”造形は、熱度と緊張感を真骨頂とする山本演出と上手くマッチしているとは言いがたい。シベリア収容所でのPTSDだとしても、その演技が自然に見れたのは前半のみである。後半から一転、文字通り仕事の鬼と化していくのだが、その時にはすでに前半との落差が激しすぎてどうしても彼の演技についていけなかった。
ありのさんへ、お久しぶりです。このさくひんは「沈まぬ太陽(2009年に映画化・出演渡辺謙補足この作品が公開された当時には、本篇上映時間(3時間22分)が長い為、10分間の休憩時間があったそうです。)」この作品はともに山崎豊子さんの代表作なんですが、またこの作品は2009年に「フジテレビ開局50周年記念作品」としてドラマ化されているそうです。僕にとって一番気になるのは、地震で営業できない東北地方・関東地方(首都圏)の映画館(シネコン・ミニシアター問わず。)のことなんですよね凄く心配です。早く、「塔の上のラプンツェル(3D、IMAX-3D)」と「映画ドラえもん新のび太の鉄人兵団~羽ばたけ天使たち~」(共に現在公開中)と「「プリキュアオールスターズDX3」(3月19日公開予定。)のうち1~2作品を見てみたいです。早く、映画館が営業再開してほしいです。
こんばんは、にょろ~ん。さん。
おっしゃるとおり、本作は2度テレビ化されていますね。それだけ多くの人を魅了する原作なのだと思います。
地震の影響で新作の公開を見送る劇場も出てきています。仕方が無いことかもしれませんが、いずれ時が来れば再開することでしょう。今は被災地の復興と共に、映画館に灯がともるのを信じて祈るばかりです。
この監督は左翼なんだろうな・・としか思えない演出があちらこちらに・・。
日本軍は悪。天皇は悪。日米安保は悪。
主人公が仕事で渡米した際にわざわざ米兵の墓地に行きそこで息子を亡くしたらしい母親に出くわし「JAP!!」と罵倒されうなだれるシーンとかうんざりさせられるシーン満載。
話の終わりの頃に日本国民の願いに反して日米安保を締結した政府がどれだけ日本国民の敵でアメリカの犬であるかを主人公の高校生の娘が突然主張したすシーンもこの監督自らの考えをこの娘に言わせただけなんでしょうね・・共産党員が作った映画としか思えなかった。
確かに監督は左翼系ですからそう思うのも無理はないでしょうね。今作の他にもそういった匂いがします。
現在の日本映画で、ほとんど製作されなくなった社会派映画。
かつては、山本薩夫監督や、熊井啓監督など、数多くの気骨のある映画監督がいたものでしたが、現在の日本映画の衰退、凋落傾向の中、そのような気骨のある映画監督が全くいなくなりましたね。
この東宝映画「不毛地帯」は、昭和34年当時、二次防の第一次FX選定をめぐるロッキード対グラマンの"黒い商戦"を素材にした山崎豊子の原作の映画化作品ですね。
この映画は、その相当部分が主人公の元大本営参謀であった、壱岐正(仲代達矢)のシベリア抑留11年の描写に当てられています。
そして、この主人公の壱岐正のモデルは、元伊藤忠相談役の瀬島龍三氏であったのは言うまでもありません。
「白い巨塔」「華麗なる一族」に続くこの山崎豊子の原作は、高度経済成長下の熾烈な経済競争で荒廃してしまった"日本の精神的不毛地帯"と、厳しい自然と、全く自由を奪われた強制収容所という"シベリアの不毛地帯"を重ね合わせ、この二つの不毛地帯を、幼年学校以来、軍人精神をたたきこまれた主人公の壱岐正が、如何に生きていくか、その"人間的苦悩"に焦点を絞って描いている小説だと思います。
この映画の監督は社会派の作品を得意とする山本薩夫。
「戦争と人間」三部作、「華麗なる一族」「金環蝕」とその作風はある意味、一貫している監督です。
原作ではシベリアでの飢えと拷問の監獄、それに続く悲惨な収容所生活に多くのページを割いており、ソルジェニーツィンの「収容所群島」を連想させますが、この映画では、シベリアの部分はほとんどカットされており、ソ連内務省の取り調べも、天皇の戦争責任にポイントをおくためのものになっているように思います。
また、安保闘争をこの映画と切り離せない社会的背景とみて、原作にはないのを山本監督は意識的かつ重点的に付け加えています。
更に、自衛隊反対の自己の主張を壱岐の娘、直子(秋吉久美子)の口から繰り返し語らせているのです。
そして、当時、社会の関心が集中していた"ロッキード事件"を意識して、その徹底糾明のためのキャンペーン映画として作られており、山本監督は、それを抉るために彼の"政治的立場"に沿って、人間関係を明快に整理しているようにも思います。
原作者の山崎豊子は、「作者としては、どこまでも主人公、壱岐正が、その黒い翼の商戦の中で如何に苦悩し、傷つき、血を流したか、主人公の人間像、心の襞を克明に映像化してほしかった。この点、山本監督は、イデオロギー的な立場で、主人公を結論づけ、描いておられる。そこが小説と映画との根本的な相違であるといえる」と強い不満を語っていましたが、もっともな事だと思います。
山本監督は、「『金環蝕』も『不毛地帯』も、そのストーリーこそ違うものの、いずれも、本質的には日本の保守政治の構造が生んだ事件であり、今回のロッキード事件とその点で共通していると言える。私が『不毛地帯』を撮るにあたり、こうした保守政治の体質にいかに迫るかが、私にとって大きな課題となった」と、この映画「不毛地帯」の製作意図を語っており、このようにこの映画が、"政治的な意図"を持った映画である事を、我々映画を観る者は、よく認識しておく必要があると思います。
当時のロッキード事件というものと関連させて、なるほどと思わせる場面が多く、迫力もあり、映画的に面白く撮っているだけに、我々観る者が映像と現実をそのままゴッチャにしてしまう危険性もはらんでいるようにも思います。
ただ、山本監督は、「私は、映画はわかりやすく、面白いものでなければいけないと、常々考えている。健全な娯楽性の中に、その機能を生かせば、今度のような、いわば政治の陰の部分まで描き出せる」とも語っており、三時間という長さを全く退屈させない腕前はさすがで、その政治的な思想性は別にしても、これだけの社会派ドラマを撮れる監督が、現在の日本映画界に全くいなくなった現状を考えると、本当に凄い映画監督だったんだなとあらためて痛感させられます。
シベリア抑留の苛酷な体験もいつか薄れ、新鋭戦闘機に魅せられて、いつの間にか熾烈な商戦の渦中に巻き込まれ、作戦以上の策略を尽した結果が、心ならずも戦友の川又空将補(丹波哲郎)を死に追い込み、家族からも心が離反されてゆく、"旧職業軍人の業"といったものが切ない哀しみを持って、胸にしみて
そして、自衛隊に入った旧軍人制服組の、警察出身で政治的な貝塚官房長(小沢栄太郎)に対する憎しみも非常にうまく描かれていたと思います。
映画が原作とは違うものになってしまった…という山崎豊子自身の言葉は面白いですね。
映画と原作の乖離は多々起こりがちですが、山本薩夫という作家性をを考えた場合、さもありなん。むしろ言われた当人としては「してやったり」とさえ思ったのではないでしょうか。
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