山本薩夫監督、渾身の農村ドラマ!
「荷車の歌」(1959日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 明治27年、農家の娘セキは郵便配達員をしている茂市と駆け落ちする。二人は茂市の実家で荷車引きとして働くようになる。しかし、想像を絶する酷使な仕事に加え、姑の虐め、生まれたばかりの赤ん坊オト代の病気で、セキの心は折れそうになった。ある日、意を決したセキは茂市の許しを得て、オト代を背負って巡礼の旅に出た。そのかいあって、オト代は元気な娘に成長する。やがて、第二子が生まれる。ところが、またしても女の子だったために、姑の嫌がらせは益々エスカレートしていった。その矛先は幼いオト代にまで向けられる。泣く泣くセキはオト代を近所の親切な夫婦に預けた。こうして母子は離れ離れになってしまう。
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(レビュー) 明治、昭和を生きた女の半生を豪快な筆致で綴った大作。
荷車引きの夫の家に嫁いだセキの身に降りかかる不幸は、見ていて本当に気の毒になる。米俵を乗せた荷車を、ほぼ休みなく往復10里も引いて歩くのだ。男でさえキツいこの仕事を彼女は黙々と行う。そして、家に帰れば姑の虐めにあい、飯もろくに食わせてもらえない。肝心の茂市は母に頭が上がらず、ただ黙って見ているだけである。しかも、跡継ぎができないという理由から、姑の虐めは幼いオト代にまで及んでいく。正に地獄のような生活である。
ここまで虐めが続くとさすがに姑に対する怒りも爆発する。セキはたびたび反発してみせるのだが、皮肉にもこれが彼女を強い嫁に変えていく。この対立は後半、意外な形で解消されるのだが、これは明らかにセキが人間的に一回りも二回りも大きく成長した証しであろう。あの時の虐めや苦労が彼女をここまで強くさせた‥そんな風に思えて感動的だった。
物語が昭和パートに入ってくると、今度はセキと茂市の夫婦のドラマに焦点を当てて展開されていく。茂市の周囲にトラブル生じ、これがセキを更なる不幸に陥れる。彼女はこの時すでに5人の母親となっており、妻というよりも母親としての強さを身につけている。彼女の生きがいである子供達に迷惑がかからないように、セキは茂市のトラブルに“したたか”に対処していくのだが、これには感服してしまった。特に、三郎のエピソードにおける彼女の選択には、子を思う母の愛の無限性が感じられて感動させられる。正に母性の極みであろう。
こんな風に映画は全編、ひたすらセキにとっての不幸の連続が描かれていく。それは時代という特殊な環境がもたらした不幸であり、今見ると古臭い、陰気臭い‥となるかもしれない。ただ、ドラマの根底には母親の愛、女の幸せという普遍的なテーマが低通しており、そこは現代に生きる我々が見ても共感できるのではないだろうか。また、嫁姑の軋轢などは、程度の差こそあれどこの家庭にも起こりうる問題であり、そこに目を向けてみるのもいいだろう。いずれにせよ、これほどまでに逞しく生きた女性の半生を見せられると人間讃歌的な感動すらおぼえてしまう。
また、隠滅とした中で唯一光り輝くシーンもあって、そこにはホッと安堵させられた。それは家族が一堂に集う祭りのシーンである。苦労を耐え忍んでようやく手に入れた家族の団欒にセキの表情が自然とほころび、見ているこちらも何だか幸せな気分にさせられる。もしかしたらこれまでの苦労は、全てこの瞬間のためにあったのかもしれない‥。そんな風に思えた。
キャストでは、何と言ってもセキを演じた望月優子の熱演が素晴らしかった。また、鬼姑を憎々しく演じた岸輝子の存在も忘れがたい。二人の対立が夫々のキャラを引き立たせ、母性という象徴に止揚されていくところに、このドラマの本質があるように思う。ゆえに、本作はどちらが欠けても成り立たない映画であろう。
尚、当時は大手五社協定という絶対的な支配があったが、本作を含め独立系の作品が徐々に頭角を現し始めていた頃だった。テレビの台頭で映画産業が斜陽化していく中、こうした独立系の躍進があったことは興味深い潮流だ。
本作の製作資金は、全国の農村婦人のカンパによってまかなわれたそうである。かなり苦しい製作体制にあったと思うが、それを支えたのが農村婦人というあたりが面白い。セキの苦労のドラマに少なからずシンパシーを覚える女性達が結構いたということだろう。
また、茂市を演じた三国連太郎も大手から独立したばかりだった。本作にかける熱意は、その演技から十二分に感じられる。撮影当時、すでに歯を10本抜いていたそうだが、それが終盤の老け役の演技に説得力をもたらしている。当時36歳で老人の顔をリアルに作れるとは‥正に名優の仕事である。