前科者の運命を非情なタッチで描いた作品。
「暗黒街のふたり」(1973仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 銀行強盗で服役中のジノが、10年の刑期を終えて仮出所した。保護司ジェルマンの監察の元、ジノは仕事に就き妻とやり直しをはかる。ジノはジェルマンと家族ぐるみで交友し、次第に彼のことを第二の父親のように慕っていった。そんなある日、ジノに不幸が襲いかかる。ジェルマン家とバカンスに出かけた時に、自動車事故で妻を亡くしてしまったのだ。落ち込むジノをジェルマンは慰めた。やがて、ジノの前にルジーという魅力的な女性が現れる。彼女のためにジノは再び更生の道を歩み始める。ところが、そこにかつて彼を逮捕したゴワトロー警部が現れ‥。
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(レビュー) 前科者が辿る悲劇的な運命をシリアスに綴った作品。
冒頭のジェルマンのナレーションにあるとおり、この当時まだフランスではギロチンによる死刑があった。フランスで死刑は1981年に廃止されているが、それまではギロチンは制度として厳然としてあったというから驚かされる。
本作は、犯罪者が立ち直ることの難しさを描いた人間ドラマだが、その一方で彼らの更生を阻む社会、あるいはそれを十分にサポートできないどころか、むしろ再び犯罪へ追い詰めてしまう公権力の愚かさ、怖さを告発した社会派的な作品でもある。ギロチンという制度は、正に権力の怖さを象徴するものとして捉えられる。
それにしても、ジノはつくづく運の悪い男だ。過去の罪は罪としても、刑期を終えた彼は一応の清算を果たして真面目に職に就き妻と再生の道を歩もうとした。それなのに昔の悪友に付きまとわれたり、事故で妻を亡くしたり、様々な障害が更生の道を閉ざしていく。保護司ジェルマンはそんな彼をまるで本当の息子のように温かく見守るのだが、彼一人に付きっ切りというわけにはいかない。ジノと同じように救いを求める前科者は他にもたくさんいるからだ。結局、ジノは再び暗黒街に戻っていく。
この映画を見た中には、ジノは人間的に弱い男だ‥と言う人もいるかもしれない。確かに社会復帰とは、本人の強い意志と努力が無ければ成し遂げられないものである。彼は自分の力でこれらの障害を乗り越えていかなければならなかったのだと思う。しかし、一度悪に手を染めた人間が、その手を洗い流せるのはそう容易いことではない。本当に本人の弱さだけに責任を負わせていいものだろうか?
中盤から、かつてジノを刑務所に入れたゴワトロー警部が登場する。何かまたボロを出さないかと執拗にジノの後を追い回すのだが、これが実に嫌らしい男として描かれている。ギロチンが公権力の怖さを象徴するものだとすれば、彼はその刃を下ろす死刑執行官と言っていいだろう。彼の捜査方法は明らかに行き過ぎたものであり、何か私怨でも絡んでいるのではないかと勘ぐってしまうくらいだった。おそらく彼がいなければ事態はもう少し違ってきていたと思う。ゴワトロー警部はこの物語の中では完全に悪役として存在している。
警察権力に対する告発以外に、本作は政治と司法の誤ったシステムについても告発している。例えば、刑務所内での腐敗、形ばかりの裁判。こうしたシステム上の瑕疵を赤裸々に描写する事で、犯罪に走る原因は本人にあるが、一方で彼らを取り巻く環境にも非があるのではないか?罪人というレッテルを貼る事で社会が彼らを見捨てているのではないか?そういうい疑問を投げかけている。
ジノ役はA・ドロン。ジェルマン役はJ・ギャバン。フランスを代表するスターの豪華競演作である。
悲劇の汚れ役に徹したドロンは新鮮であったが、後半はひたすら悲壮感が貫かれるのでやや一本調子な演技になってしまった。一方のJ・ギャバンは淡々とした中に、年の功というべきか、懐の深さを感じさせ素晴らしい演技を見せている。また、ゴワトロー警部を憎々しく演じたM・ブーケの演技も忘れられない。好演と言っていい。