ビターな不倫劇。
「マッチポイント」(2005英米ルクセンブルグ)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 元プロテニスプレイヤーのクリスは引退後、会員制テニスクラブのコーチになる。そこで資産家の息子トムに出会い、彼の妹クロエを紹介される。彼女に気に入られたクリスは付き合うことになった。交際は順調に進み、彼女の口利きで父親の会社にも就職できた。このままいけば彼の将来は確約されたようなものである。しかし、その一方でトムの婚約者で女優志願のノラにも惹かれる。ある日、トムの別荘に招待されたクリスはノラと関係を持ってしまう。
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(レビュー) W・アレンがニューヨークを離れて初めてロンドン・ロケを敢行したロマンス・サスペンス。
全体を通してカッチリと作られておりほとんど破綻がない作品で、昨今のアレン作品の中では群を抜いて完成度が高いと言える。老いて尚、こうした驚きと新鮮さに満ちた作品を作れるところに彼の底力が感じられた。
物語は資産家の娘と婚約した男が義兄の婚約者に惹かれる‥という、言わば不倫劇である。ただ、そこはアレンである。シリアスな作品である事は確かだが、随所にブラックなユーモアが散りばめられていて決して隠滅としたドラマとはなっていない。
まず映画の始まり方が面白い。ネットに引っ掛かったテニスボールがどちらのコートに落ちるか?それは全て運次第である‥というナレーションが流れる。実は、この言葉が本作のテーマであり、クリスが辿る人生もこのナレーションに当てはめて言い表すことが出来る。
彼は運良く名声を手にするが、そこに思わぬ落とし穴が、つまりノラとの不倫があった。果たして彼はこの窮地をどうやって切り抜けるのか?それがこのドラマのクライマックスとなっている。その顛末は正に冒頭の“全ては運次第”という言葉を痛感させられるものであった。
アレンらしいと思ったのは、クリスのこの顛末を突き放して描いている所である。本来メロドラマというものは、ロマンスを盛り上げるためにキャラクターに感情移入させようとするものである。しかし、今作は終始傍観的な立場を貫くような作りになっているため、観客は決して主人公クリスに感情移入する事は出来ない。むしろ、二股かけたイケ好かないプレイボーイ、最低な男‥という風に見れてしまう。彼の辿るこの顛末には因果応報という納得感をおぼえる。こう感じてしまうのは、一にも二にもアレンのコメディ的な語り口、常に主人公に感情移入させない傍観的な立場を貫いた語り口があるからだろう。
また、クリス達、資産階級や有識者を徹底して俗物のように描いており、これもいかにもW・アレンらしい。かつて彼はホームタウン、ニューヨークでハイソサエティに対する毒舌を吐きまくっていたが、今回も対象こそ違え彼のルサンチマンは一貫している。ニューヨークを離れてわざわざロンドンという地に映画の舞台を選んだのは、イギリス特有の貴族社会に対する痛烈なアンチを吐き出したかったからなのかもしれない。
一方、悲劇のヒロイン、ノラは初めこそ悪女的なキャラとして登場してくるが、その出自や過去を踏まえると無産階級の哀れさも感じられ不憫に思えてくる。確かに彼女は女優業と玉の輿という二つを欲張った女だった。しかし、その欲望は少なくともクリスたち有産階級の強欲さに比べたら、決して責められるべきものではないだろう。ノラは有産階級の犠牲者という見方も出来てしまう。そういう意味では、本作で一番感情移入しやすいのは彼女かもしれない。
尚、劇中に「罪と罰」と「椿姫」が登場してくるが、これらはドラマの重要なモティーフになっている。
「罪と罰」についてはクリスの顛末と照らし合わせながら考えると、なるほど‥と一層理解が深まる。「罪と罰」の主人公は最後に自らを裁くが、クリスはそうしなかった。しかし、それによってクリスは命拾いしたというわけではなく、罪の意識が一生ついて回るという更なる不幸を背負うことになった。これは法の裁きを受けるよりも更に残酷な結末と言えるだろう。まさしくクリスの人生は「罪と罰」が下敷きとなっている。
「椿姫」はノラの人生に呼応させながらこんな風に読み解ける。「椿姫」のヒロインは娼婦だったために叶わぬ恋に苦しんだ悲劇のヒロインである。ノラも日陰の女として耐え忍ぶ薄幸なキャラであり、そこに「椿姫」のヒロインを重ねて見ることが出来る。
W・アレンはよく文学や音楽といった芸術をさりげなく作中に忍ばせるが、今回はそれが冴え渡っている。引用がドラマとガッチリと噛み合っていて、観終わった後には考えさせられるものがあった。この豊饒な鑑賞感こそ、アレン映画のもう一つの真骨頂である。