幻想的な少女の成長ドラマ。
「海潮音」(1980日)ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 日本海をのぞむ小さな港町。少女伊代は、実業家の父と年老いた祖母と暮らしていた。ある朝、父が海岸で倒れていた美しい女性を介抱する。父は、記憶を失い衰弱しきっていた彼女の面倒を見ることにした。伊代はその女に得体の知れぬ嫌悪感を覚えた。一方、東京に出ていた父の義弟征夫が帰ってきた。彼は父の世話でガソリンスタンドで働くことになる。伊代は気さくな征夫を慕うようになる。ところが、彼も父と同じようにこの謎の女に魅了されていく。
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(レビュー) 旧家に入り込んだ謎の女に少女が翻弄されていく愛憎奇談。
いわゆる思春期映画の部類に入るのだろうが、凝った設定と演出で奇妙な味わいを持った作品になっている。
主人公伊代は、中学生か高校生だろう。しかし、そのわりに性徴が随分と遅い。この映画には彼女の生理を暗喩するシーンが幾度も登場してくるが、そのたびに彼女は嫌悪感をもよおしている。まるで、女になる事を拒んでいるかのようだ。その原因は、幼い頃に見た両親のセックスがトラウマとして彼女に重くのしかかっているからである。彼女はその記憶を拭いきれずに性を嫌悪をし、身体の性徴を拒んでいるのだ。性を汚いものとみなすこの心理は、少女から女に成長してく過程においてしばしば見られるものであるが、本作はそこをしつこいくらい丁寧に描いている。
一方で、彼女の性に対する嫌悪に拍車をかけるべく登場してくるのが、父親が海岸で拾ってきた謎の女である。女は初めこそ殊勝な振る舞いで命を助けてくれた父に恩義を見せるが、次第にメスとしての本性を見せていくようになる。伊代はそんな彼女と、彼女に惹かれる父に“汚れた”関係を見てしまう。そして、自分の身体にも父と同じ“汚れた”血が流れている事実を認められず自己嫌悪に陥っていく。
伊代にとってこの謎の女はいかなる存在だったのだろうか?伊代は初めからこの女のことを嫌悪している。女がこの世の者とは思えぬ異様なオーラをまとっていたからかもしれない。あるいは、亡き母から父を奪う憎き愛人のように見えたからなのかもしれない。また、一度死の淵から救われた身であることを鑑みれば“死の世界”からやって来た死者、周囲の家族を死の世界に引きずり込む妖怪や幽霊の類のように見えたからなのかもしれない。
そう考えると、この物語の舞台である港町というのもどこかオカルト的なものに思えてくる。海は生命の誕生と終末を包容する神話的な場所と言える。死と性を匂わす舞台としては格好の舞台ではないだろうか。
今作はほぼ全編に渡って伊代と謎の女が対峙し続ける映画である。現実と幻想、生と死、様々なメタファーを両者の中に見る事が出来るが、女の正体については最後まで謎のままで終わっている。単純に答えを求めたがる人にはつまらない作品かもしれない。しかし、逆に色々と想像が喚起される所に本作の面白さがあるように思う。
キャストでは、伊代を演じた荻野目慶子の好演が印象に残った。年相応の無垢さ、脆さを適確に体現して見せている。特にクライマックスの怪演には目が釘付けになった。
一方、征夫を演じた泉谷しげるはミスキャストに写った。伊代が心を開ける唯一の親友的存在だが、イメージからするともう少し清廉潔白さが欲しい。なぜなら、伊代が嫌う“性”とは無縁の存在であってほしいからだ。確かに彼なりに真面目で貧乏性な青年を造形しているのは分かるのだが、所々で地が出てしまっているのが残念だった。