人生の末期をどう生きるか?色々と考えさせられた。
「BIUTIFUL ビューティフル」(2010スペインメキシコ)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) スペイン・バルセロナの下町。不法入国者の労働斡旋をしながら二人の子供を育てているウスバルは、突然癌を宣告され余命2ヶ月と診断される。そんなある日、別れた妻マランブラが子供達に会いにやって来た。彼女は過去に精神疾患による酒とドラッグの過剰摂取で親権を剥奪されていた。冷たく追い返すウスバルだったが、自分に残されている時間はあと僅か。次第に彼女を許そうという気持ちになる。一方、ウスバルが世話していた不法移民が違法販売で警察に一斉検挙された。現場に急行したウスバルも逮捕されてしまう。彼は子供達の面倒をマランラブに頼むほかなくなる。
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(レビュー) 余命僅かな男の人生の清算をシリアスに綴った人間ドラマ。
監督はA・ゴンザレス・イニャリトゥ。死に行くウスバルの姿を丹念に綴った演出力は相変わらず端正で、ウスバルを演じたJ・バルデムのリアリズム志向な好演も加わり、この手の難病物のドラマにありがちな、泣きを煽るような“ウソ臭さ”は映画から完全に払拭されている。監督の眼差しはひたすら家族の過酷な現実を照射していくことのみに専念している。人生の末期をどう生きるかということについて、シビアに考えさせられた。
過去のイニャリトゥ作品は全て見ているが、今回の演出で今までと少し違うなと思ったのは、アーティスティックな背景を画面のポイントとして各所に配していたことである。こうした作為的な演出はこれまでの作品では余り見られなかったことだ。どちらかと言うと、手持ちカメラによるドキュメンタルなスタイルを信条としていた印象が強かったのだが、今回は画面の端々に良い意味での”あざとさ”を出してきている。例えば、絵画やストリートアート、インテリアといった背景に刺激と賑わいを持たせ、日常目線が続くドラマの合間にちょとしたユーモアや“遊び”を持たせている。
また、ウスバルは死者の声を聞く超能力を持っており、それを表現する超自然的現象はオカルティックに形而下されている。基本的にドキュメンタリズムなトーンは崩さないのだが、今回はこうした作為的な演出を各所に覗かせており、これまでの作品にはない新鮮さが感じられた。
一方、ドラマはというと、こちらはイニャリトゥ自身が初めて脚本を書いているのだが、どうにも説明不足だったり、逆に余り意味を成さない物があったりして決して諸手を上げて賞賛できるものではない。今までイニャリトルは盟友G・アリアガに脚本を任せて映画を作ってきた。しかし、アリアガは脚本家という枠を越えて自分でも監督もするようになってきた。もしかしたら忙しくて彼に脚本を依頼出来なかったのかもしれないが、イニャリトゥのシナリオ・センスはアリアガよりも劣る‥というのが、今回の作品を見ての個人的感想である。
アリアガ脚本の特徴は、複数の時間軸をトリッキーに交錯させながら、複雑に入り乱れたアンサンブル・ドラマを見事に1本の鞘にまとめてしまう巧みな構成力にある。今回のイニャリトゥの脚本は一見するとシンプルなドラマに見えるが、中国人ヤクザや黒人移民、ウスバルの兄といった周縁のエピソードも取り入れながら、群像劇とまではいかないがそれに近い物となっている。しかし、これら周縁のドラマのまとめ方は決して上手くいっているとは思えない。どちらかと言うと、とっ散らかった印象である。おそらくアリアガの構成力を持ってすれば、もっと綺麗にまとめる事が出来たのではないだろうか。
また、ウスバルの霊能力という設定だが、実はこの能力は本筋のドラマ、つまりウスバルの人生の清算というドラマにさほど深く関わってこない。見ている方としては、こうした特殊能力には必ず何か意味がある‥と思ってしまうのが普通だ。亡き父のシーン、後半に起こる衝撃的な事件。この二つについては、確かにこの能力は意味のあるものとして必要だったかもしれない。しかし、それとて別の方法で描き方はいくらでもある。例えば、亡き父のシーンについては、現に父から託された重要なアイテムも登場するわけで、これを使えば済む話である。何故、現実的なドラマに敢えて霊能力のような非現実的なアイディアを持ち込んでしまったのか?その意味をきちんと提示すべきだったのではないだろうか。本筋に余り関わってこない上にこの扱いでは余りにも唐突過ぎる。
ちなみに、余命僅かな癌の男が残りの人生を清算する映画ならF・オゾン監督の「ぼくを葬(おく)る」(2005仏)という作品があった。90分に満たない作品だが死生観というテーマは必要にして十分に発せられている。それとの比較から言っても今回の148分の脚本は長すぎると感じてしまう。
ウスバルを演じたJ・バルデムは見事な好演だった。ただ、減量して頑張っているのは分かるが、正直なところ余り末期の癌患者に見えない。元々顔が大きな俳優なので、この役をやる上では損をしている感じがした。
尚、タイトルのスペルは正しくは「BEUTIFUL」である。しかし、本編を見てもらえれば分かるが、敢えて間違ったままこのタイトルにしている。この意味については、見終わった後に納得させられた。
我々は幸せ、美しさに完璧を求めたがるものだが、現実には中々そうはいかない。むしろ、ちょっとだけ欠けたところ、不完全なところにこそ、幸せ、美しさを見出すべきなのではないか‥。それがこの「BIUTIFUL」に込められた意味なのだと思う。