V・ギャロの熱演は必見。
「エッセンシャル・キリング」(2010ポーランドノルウェーアイルランドハンガリー)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) アフガニスタンの山岳に隠れていたアラブ兵ムハンマドは、追跡中のアメリカ兵を殺害し拘束される。収容所で激しい拷問を受けた後、彼は別の収容所に移送される。その途中で、移送車両がトラブルに見舞われムハンマドは脱走した。彼の行く先に極寒の大地が立ちふさがる。
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(レビュー) 米軍から追われるアラブ人兵士のサバイバルを大自然の中に描いた寓話的な作品。
監督は異才J・スコリモフスキ。どちらかというと少し捻ったタイプの作品を撮る人で、このブログでは以前に
「ザ・シャウト/さまよえる幻響」(1978英)を紹介した。本作も普通のサバイバル・アドベンチャー映画だと思って見ていると、実に奥深いテーマが隠されていることが分かり最後には色々と考えさせられる。
この映画は明らかに象徴的な作りの映画になっている。
ムハンマドは旅の途中で傷つき意識を失い、疲労に倒れ度々アラーに救いを求める過去を思い出す。この回想が彼を過度にイスラム教徒を象徴するキャラクターに見せている。
一方、クライマックスシーン。寒村にひっそりと佇む邸宅に住む人妻が登場してくるが、こちらは直接的な表現はないが、クリスマスで浮かれる夫の歌声から分かるとおり、明らかにキリスト教信者なのだろう。
ムハンマド=イスラム教、クライマックスに登場する人妻=キリスト教ということを考えれば、この映画は世界の現在(いま)を象徴的に表している作品とも取れる。かなり鋭いメッセージが込められているような気がした。
尚、人妻はムハンマドにある行動を取るのだが、これは明らかにキリス教における慈悲の精神を表すものと捉えられる。この博愛主義を重要な物として提示したところに、本作はキリスト教寄りなのではないか?フェアじゃないのではないか?という疑問が生じてしまう恐れがある。確かにそういう意見が出ても仕方がないという感じはした。
ただ、そうだとしても、本作は両宗派の融合、平和というメッセージを観客に投げかけていることは確かである。単に一方を持ち上げて終わりとするのではなく、イスラム教とキリスト教、両者の〝融和”を語っているところに意義がある。
もう一つ面白いと思ったのは、旅を通して芽生えるムハンマドの心理変化である。彼は一度はアラーにその身を捧げた兵士であるが、いざ自分が死に目にあうと、アラーのために死ぬのではなく、己のために生きようと考えを改める。生きたいという欲求が芽生えた時点で、彼は他者であるところのアラーに神を求めるをやめて、自己の中に神を求めたと見ていい。そこには、ニュースに流れる自爆テロ犯とは明らかに違う一個の個人の姿が見えてくる。この心理変化には、自己を覚醒させていく‥という成長ドラマが見て取れる。
また、彼のような改心が現在起きている戦争を無くす一番の近道なのではないか‥と考えさせられたりもした。
これは何もムハンマドを見習えということを言っているわけではない。彼は人を殺してまで逃亡の旅を続けたわけであるから、これ自体、すでに罪を重ねながら生きているということになる。現に映画の顛末は彼の人生を良しとしていないことは明白だ。ただ、彼は最後に一人の人間として自己を取り戻したわけであるから、唯一神の名の下で大量殺人を犯す輩よりは幾分マシなのではないだろうか‥ということである。
ムハンマドを演じるのは個性派俳優V・ギャロ。極寒の大地での過酷な撮影は相当キツいものがあったと思うが、その熱演は作品に大きなリアリティをもたらしている。あまりアラブ系に見えないという苦しさがあるが(あるいはここには監督の何か狙いが込められているのかもしれない)、彼の熱演は見応えがあった。セリフを排して肉体勝負で挑んだところに強い意気込みも感じられる。