想像を絶する映像叙事詩。
「ツリー・オブ・ライフ」(2011米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 実業家ジャックは過去のトラウマに捉われながら生きてきた。それは父との確執にあった。彼は両親と二人の弟と暮らした過去を回想する-----エンジニアをしている父は仕事一筋の人間だった。ジャック達に強い男になって欲しいという願いから厳しい教育をしていく。一方の母は深い愛情で彼らを包み込んだ。ジャックは次第に父に反抗していくようになる。
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(レビュー) 父子の確執を教示的且つ壮大なスケールで描いた人間ドラマ。
基本となる物語は、父権と母性の狭間で揺れ動く少年の葛藤‥といったところか。親に対する反発は思春期時代に抱える問題として多くの人々が共感できる題材だと思う。極めて普遍性の高いドラマと言える。
ただ、すんなりと感情移入できる映画かと言うと、そう容易くはない。かなり捻った作りになっており、果たしてどこまで多くの観客を感動させることができるのか‥そこは疑問に思えた。
というのも、ある家族のドラマを描きながら、映画の語り口は日常目線で綴られているわけではないからだ。神とは?生命とは?人生とは?といった宗教的なメッセージが全編に渡って横溢し、日常レベルをはるかに超えた目線で語られている。題材自体はよくある日常ドラマなのに、それをここまで壮大なものとして語られると、もはや別次元の物語のようにしか思えなくなってしまう。ドラマに入り込むにはかなりハードルが高い。
監督・脚本はT・マリック。この監督は一種独特の作風を持っている。
前作
「ニュー・ワールド」(2005米)は個人的には辛めの評価を下したが、この監督の演出スタイルについては存分に出ていたことは認めてもいいと思っている。彼の演出的な特徴とは、美しい映像と詩情溢れるモノローグ、この二つである。他の作品についても映像抒情詩的な傾向が強く、さしずめ彼は映画界の吟遊詩人といった比喩がよく似合う。ともかく、それくらいマリックの映画は独特のテイストを持っているのだ。そのマリックの作家性になぞらえれば、本作は正に彼にしか撮れない作品になっていることは紛れもない事実である。
とは言っても、旧約聖書を描く天地創造のイメージ・シーンに代表されるように壮大なイメージが伏流すると、メインのドラマはどこかに吹き飛んでしまう。
マリック作品のもう一つの特徴である詩情的なモノローグも、今回はドラマをいたずらに停滞させるだけで効果的とは言い難い。美しい映像に被さればそれだけでかなり見応えのある画面を創出できていることは確かだが、一方で今回のようなミニマムなドラマだと益々冗漫に感じられてしまう。
また、ドラマの視座は厳密にはジャックの回想なので本来は彼にあるべきなのに、なぜか母親のモノローグまで混入される。構成として破綻しており、これもドラマへの集中力を欠く原因になっている。
おそらく監督は、ジャックの葛藤を世界の起源から連綿と受け継がれる普遍的なもの‥として描きたかったのだろう。実際、天地創造に始まる世界の歴史の後にジャック達家族のドラマが続くことで、この二つはリンクするものと考えられる。その狙いは映画を見てよく分かった。しかし、それと面白さとはまた別物である。やはり、映画はドラマがあった上でイマジネーションの世界が繰り広げられるべきものだと思う。ドラマを魅力的に盛り立てられない映像を見せられても、それはかえって逆効果だ。シリアスな家族のドラマとネイチャー・ドキュメンタリーを並行して見せられているような、そんな散漫な印象しか持てなかった。
映像はとにかく美しく壮大で見応えがあった。しかし、いかんせんこの作り方では、本来力を持っているはずのドラマを全く引き立てられていない。ドラマとイマジネーションが完全に臨界点を超えてしまっている。
キャストではB・ピット、S・ペンが登場するも、二人の直接的な絡みが全く無いのが残念だった。見世場的なことを考えればそこは大いに話題になることは間違いないはずだが、敢えて外してきたのだろうか?それともスケジュール等、背景的な問題か?
尚、冒頭に出てくるヨブ記は旧約聖書の書物である。後追いで調べてみたところ、この物語に対する理解が更に深まった。映画はヨブ記を受けて母親のモノローグで出発するが、その時に彼女はこんなことを言う。
人間には二通りの生き方がある。一つは俗世にまみれた生き方、もう一つは信仰に生きる生き方。
これは正にジャックの両親の子育ての違いを表しているように思う。ジャックが彼らの愛に引き裂かれながら苦悩する姿は、正に冒頭に出てくるこのヨブ記のヨブに重ねて見れば理解しやすいだろう。