物語自体に目新しさはないが、勢いと哀愁に包まれたエンディングが余韻を引く。
「さすらいの女神(デイーバ)たち」(2010仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) プロデューサーのジョアキムは、ファッショナブルでセクシーなステージで人気のショー・ガール集団〝ニュー・バーレスク”を率いて故郷フランスにやってきた。パリには別れた妻子が住んでいて、ジョアキムは暫くの間子供たちと一緒に過ごすことになる。ところが、仕事はトラブル続きで、肝心のパリ公演が過去の因縁から中止の危機に追い込まれてしまう。ジョアキムは、テレビ局の名プロデューサーに上り詰めたかつての親友に頼み込むに行くのだが‥。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 物語のエッセンスだけを見ると、何となく小津安二郎監督の「浮草物語」(1934日)が連想された。「浮草物語」は、別れた妻子が住む町を訪ねた芝居一座の座長の悲哀をしみじみと綴った人情話で、小津自身この作品をよほど気に入っていたのか、設定を少し変えて後にリメイクしている。本作のジョアキムも、別れた妻子に会うためにニュー・バーレスクを率いて故郷へ凱旋する。しかし、子供たちとの関係はギクシャクするし、ツアーの目玉であるパリ公演も中止に追い込まれてしまう。家族からも、仕事からも見放されたダメオヤヂの悲哀は、何となく「浮草物語」の主人公とダブって見えた。
物語は基本的にジョアキムのルーザーっぷりを描くことに専念しており、どうしようもないダメオヤヂだなぁ~という感覚で中々面白く見ることが出来る。
彼が率いるニュー・バーレスクは大喝采を浴びているが、実際の経営は相当に厳しいことが色々なシーンから見えてくる。また、念願のパリ公演も中止の危機にさらされ、ジョアキムは犬猿の仲であるかつての旧友に力を貸してほしいと頭を下げに行って殴られる。挙句の果てに、ファンの女性からは、ほとんど言いがかりに近いいちゃもんをつけられヨーグルトを投げつけられる始末である(ここは傑作だった)。彼にとってのこのパリという土地は美しい思い出が詰まった場所ではなく、何もかもが悪い方向にしか進まない荒涼とした土地だった‥というところが何とも空しい。
そこで描かれるテーマは家族愛ということになろうか。これはジョアキムが息子たちとの関係を修復しようとする葛藤から読み取れる。普通のハリウッド映画ならここで感動的な和解で美しく締めくくるのだろう。しかし、この映画はそう簡単にはいかない。この葛藤は終盤でダンサーの一人、ミミとの恋愛関係へ継承されていくのだ。このロマンスの意味を紐解いていくことは、テーマを探る上では大変重要な部分だと思う。
ジョアキムにとってダンサー達がいかなる存在であるかは、彼の仕事の仕方から如実に窺い知れる。プロデューサーと言っても彼自身がホテルの手配から電車の予約まで全て行っている。これはほとんどマネージャーの仕事であり、まるで衣食住の世話する子守のようにも見えてくる。実の子供を失った彼が、仕事上のパートナーであるニュー・バーレスクのダンサー達に生きがいを求め愛情を注ぎこむのは何となく理解できる。まさしくダンサー達はジョアキムにとって子供の代わりなのだろう。
しかし、これが終盤のミミとのロマンスで一転する。ジョアキムがミミの抱擁にもたれる姿は、まるで母に甘える子供のようだ。それまでのジョアキムとダンサー達の保護者と被保護者の関係が逆転している所に注目したい。
結局、彼が帰るべき場所は家族がいるパリではなく、精神的にも経済的にも支えてくれるダンサー達の腕の中だった‥ということなのだろう。ダンサー達は家族であり母親だった。そこにダメオヤヂの悲哀を見ずにいられない。
映像面での見どころは何と言っても、ディーバたちのステージ・パフォーマンスになる。メンバーは全員が年をいった中年おばさんばかりで、決して美しいわけでもスタイルが良いわけでもない。しかし、それでもお客さんを楽しませようと体を張って一生懸命ダンスをする姿にプロ根性を見てしまう。聞けば彼女らは全員が現役のニュー・バーレスク・ダンサー達だそうである。演技自体も素人ながら中々の物で、特に違和感を感じる所はなかった。尚、個人的にはジュリーのアイディアを駆使したシュールなパフォーマンスが一番面白く見れた。
その他にも、ガソリンスタンドのシーン、結婚式のトイレのシーン、ジョアキムとミミが路頭に迷うシーン等、エスプリを利かせたユーモアの数々も良かった。結末もその後を色々と想像させる良い幕引きだと思った。