結婚って何?その意味をユーモラスに紡いだプチ大河ドラマ。
「あゝ結婚」(1964伊)
ジャンルロマンス
(あらすじ) ナポリの実業家ドメニコは、内縁の妻フィルメーナが病に倒れたという報を聞き駆けつける。瀕死の彼女は早く神父を呼ぶようにドメニコに頼んだ。二人の関係は20年前に遡る-----第二次世界大戦時、若きドメニコは娼館で17歳のフィルメーナに出会い寵愛する。それから2年後、商売を成功させたドメニコは偶然彼女に再会する。二人は客と娼婦という関係を超えて同棲を始め、結婚も時間の問題かと思われた。しかし、ドメニコは仕事にかこつけて家庭を持ちたがらなかった。フィルメーナは正式な夫婦になりたいと願うのだが‥。
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(レビュー) 一組のカップルの20年に渡る大恋愛を軽妙に綴った作品。
物語はドメニコとフィルメーナの回想で出会い、別れ、再会、同棲等が綴られていく。フィルメーナは貧困から娼婦に身を落とした可愛そうな女で、人並みの幸せを‥と結婚に憧れる。ところが、ドメニコは仕事にかこつけてよそに愛人を作って自由気ままに生きたいと思っている。映画冒頭に象徴されているように、二人は結婚する?しない?を巡って20年間も争い続けているのだ。
こう書くと犬も食わない夫婦喧嘩のようなものに思えるだろう。まぁ確かにそのとおりなのだが、彼らは20年もの長きにわたり結婚でもめているのである。これほどバカげたコメディもそうそうないと思う。結婚観の違いを突き詰めた所に、他のお気楽ロメコメとは一線を画す大胆な可笑しさが感じられた。
また、コメディとはいえ笑いの裏側を読み解けば、男女のエゴが実に深刻に投影されており中々の歯ごたえが感じられる。
言わずもがなであるが、方々に愛人を作るドメニコは非難されるべきであろう。そういう考えから、フィルメーナはやむなく病気騒動を起こしたり、ある“重要な嘘”をつくわけだが、これは彼に対する最終手段であり、女の〝したたかさ”の表明でもある。
浮気する方も悪いし、裏切り行為をする方も悪い。この場合どっちもどっちという感じもするが、個人的にはやはり浮気をされるフィルメーナの方に同情してしまう。
映画は最後に夫々の結婚観に一定の答えを出してオチとしている。男性から見たらこの結末はかなりシビアに感じられるだろう。これもまた現実‥そんな風に受け止められるのではないだろうか。この答えは一定の説得性と普遍性を持つに至っている。
監督はV・デ・シーカ。コメディとシリアスが混在するタッチは、この人の作品の大きな特徴である。例えば、二人の馴れ初めは正に悲喜劇の絶妙なバランスの上で成り立っている。また、空き家のエピソードにはとぼけたユーモアが感じられ、何だか微笑ましく見れた。物事の因果に喜劇と悲劇を配した演出が豊饒な味わいをもたらしている。
また、後半のフィルメーナにまつわる秘密には、人情派作家デ・シーカの面目躍如が感じられた。ここには前半のドラマをひっくり返す“どんでん返し”的な効果が隠されており、その後の展開が1ステップ上の段階で転がっていくようになる。物語の推進力も増し、周到に構成されている所に唸らされた。
煮え切らない関係を上手く演じたS・ローレン、M・マストロヤンニの魅力も今作には欠かせない。特に、少女から母親の変遷を違和感なく演じきったS・ローレンの演技は見事である。
尚、個人的には100リラをマストロヤンニに投げつけるシーンの捨て台詞が大変気に入った。この100リラには二人の関係を決定付ける重要な意味合いが持たされている。今作はこうしたアイテムの使い方も上手かった。