女の幸せと成長を説いたビターな恋愛映画。
「Keiko」(1979日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 23歳のOLケイコはワンルームのアパートに住みながら孤独な日々を送っていた。寂しさを紛らすようにかつての恩師と情事に落ちる。しかし、彼女の心はますます空しくなるだけだった。そんなある日、行きつけの喫茶店で理想的な男性に巡り合う。幸せの絶頂に浸るケイコ。しかし、彼に妻子がいることが分かり‥。
楽天レンタルで「Keiko」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 孤独なOLの日常をドキュメンタルに綴った女性映画。
ナチュラルなセリフ、長芝居が独特のリアリティを醸し、中々の雰囲気を持った作品になっている。カメラは常にケイコの日々の暮らしを追いかけながら恋愛の空しさをシビアに浮き彫りにしつつ、「女性にとっての幸せとは?」というテーマを静かに炙り出している。
「幸せ」とはその人の「成長」によってもたらされるものだと思う。極端な話、ケイコの恋愛談を描くこのドラマは、彼女の成長を綴ったドラマという見方も出来る。
ケイコの恋愛遍歴は個性的な3人の男たちによって物語られていく。一人目は父子ほども年の離れた学校の恩師。二人目は喫茶店で見かけた理想的な同年代の男性。そして、3人目は勤務先の少し頼りない後輩社員である。彼らとの関係はいずれもビターな顛末を迎えるが、そこでの辛い体験がケイコを強い女性にしていくところに注目したい。恋に恋する少女から現実を見据えて独歩する大人の女性への変化が読み取れ、ケイコの成長が確かなものとして見ているこちら側に伝わってくる。
映画は全体的に非常にミニマムに作られている。前半はケイコの内省的な姿を淡々と綴るため少々退屈した。しかし、中盤にキーパーソン、独身女性カズヨが登場してからは、ドラマが徐々に外に向かって解放されていくようになる。カメラもそれに合わせるように室内から屋外へ切り替わり、季節も冬から夏へと変わっていく。このあたりのコントラストを利かせた演出、映像は、作品に上手くメリハリをつけていると思った。
ところで、ケイコの成長を促す存在、カズヨについて考察してみると色々と興味が尽きない。実は、この映画はカズヨのプライベートについてはほとんど描いていない。そのため彼女のバックストーリーは想像するほかないのだが、それを考えてみるとラストの解釈について一つの仮説が可能となってくる。
ケイコがカズヨと親交を深めていったのは、とりもなおさず自分と同じ境遇を彼女に嗅ぎ取ったからに違いない。実際、二人はとても似ていて、あらゆる場面で思考を共有している。あくまで想像だが、そこからカズヨもケイコと同じような恋愛・失恋を繰り返してきた女性なのではないか‥という気がした。女性だけがつるんで食事やレジャーを満喫することを巷では〝女子会”などと称しているが、さしずめ二人の交友描写も正にそれに近いものがある。失恋の繰り返しによる喪失感が二人の絆を強めているようにも写り、似た者同士がキャッキャッ騒いでいる様子はどこか微笑ましい。
しかし、ケイコがこのまま自分と同じ境遇を持っているであろうカズヨと一生付き合っていては、本作のテーマである成長には結びつかない。その意味からも、映画は終盤にかけて二人の関係を大きく変化させている。見ていると「え?何で?」と思うかもしれないが、カズヨの過去を想像すればこれは実に合点のいく結末である。つまり、同じ穴の貉であるカズヨと別れてケイコは新しい自分を見つけた‥というふうに読み解けるのである。
ラストの足元を見つめるケイコのどこか煮え切らない表情が印象的だった。彼女はこの時に<現実>をハッキリと認識したのだと思う。自分の恋愛遍歴を客観視し、<現実>を受け入れた瞬間のように思えた。そして、それを教えてくれたのが自分と近しい存在であるカズヨだった‥という所に<現実>の非情さが伺える。
製作・監督・脚本は日本在住のカナダ人監督クロード・ガニオンである。日本を舞台に日本人俳優を起用する撮影は色々と困難を伴ったであろうが中々堂に入っている。外国人監督が撮ったとは思えないほどにナチュラルで、この静謐なタッチは何となく諏訪敦彦の作品を連想させた。そう言えば、諏訪も外国を舞台に外国人俳優を起用して撮っている数少ない日本人監督である。異国の地で映画を撮ることは言語や文化の違いがあり色々と大変であろうが、敢えてそれに挑戦し続ける姿勢はもっと評価してあげても良いように思う。