石井苗子の佇まいが良い。
「揮発性の女」(2004日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 孤独な中年女性・悦子は、田舎町でガソリンスタンドを経営している。そこに原付バイクに乗った逃走中の強盗犯・理一が逃げ込んできた。僅かな現金とガソリンを奪って逃げようとするが、悦子の熟れた肉体を目の当たりにして思いとどまる。そして、そのまま悦子の部屋に居ついてしまう。こうして奇妙な同棲生活が始まるのだが‥。
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(レビュー) 孤独な中年女性と強盗犯の愛をオフビートに描いたドラマ。
愛とエロスをテーマに6人の監督たちが競作した「ラブコレクション」プロジェクトの中の1本である。
監督・脚本は衝撃作
「鬼畜大宴会」(1997日)でデビューを果たした熊切和嘉。過激な見世物的内容に度肝を抜かされたが、その後彼はガラリとテイストを変えてメジャー初進出作「空の穴」(2001日)を撮っている。そちらは淡々とした恋愛ドラマで、今にして思えばデビュー作の方がこの人にとっては異質な作品だったのだろう。本作も基本的には「空の穴」と同様、淡々としたテイストが横溢する。ほとんどが悦子と理一のやり取りで進行するミニマルな作品で、夫々の秘めた欲望を静かに筆致しながらじわじわと心に響いて来るような作品に仕上げられている。
但し、クライマックスからラストにかけては、やはりデビュー時のようなラジカルな演出が登場してくる。手持ちカメラで人物感情の噴出を生々しく切り取りながら、そのままの勢いを維持したままエンドクレジットまで突っ走っていく。オチを敢えて外した結末には賛否あるかもしれないが、後の二人を色々と想像させるという意味では味わいのある物に思えた。あの後二人はどこまで走っていったのだろう?悦子はこの町から出られたのだろうか?理一は逃げ延びることが出来たのだろうか?そんなことをあれこれ想像させる。
物語は、言ってしまえば流れ者のヤクザとカタギの女の恋愛ドラマで、取り立てて斬新と言うほどではない。先述の通り企画段階でテーマが限定されており、尚且つ80分という中編であることを考えれば、内容的にはこのくらいが丁度良いだろう。むしろ、ストーリーに凝るよりも料理の仕方(演出)に注力するのは、この手の競作系の作品では作家の個性を出すと言う意味において重要なことではないかと思う。
今作はストーリーを停滞させてでも一つ一つの描写をじっくりと描いて見せている。このあたりには熊切監督の人物観察能力の高さが伺える。そこを噛みしめながら見ていくと本作は非常に楽しめる作品だと思う。
そしてもう一つ、この面白さを引き立たせたものとして、悦子を演じた石井苗子の存在を忘れてはならないだろう。初見の女優であるが、中年女の孤独を実にリアルに体現していると思った。
悦子は、亡き夫の後をついでガソリンスタンドを経営する孤独な女性である。化粧っ気のない地味な風貌、感情を表に出さないボソボソとした喋り方、いかにも内省的で取っつきにくい感じの女性として登場してくる。極端な話、喪に服し続ける"死んだ"女と言ってもいい。それが理一に出会うことで徐々に感情の機微を見せ始めていくのだ。
例えば、彼女の所作は包丁を持った理一に無抵抗に屈する恐怖から始まる。その後、理一と寝食を共にするうちに少しずつ警戒心を解いていき、奇妙な愛情を抱くようになる。そして、後半からは理一の腐った根性を嗜める母親のようになっていく。石井苗子はフラットな演技の中にこうした一連の変化を見事に表現している。
また、彼女は理一の前で化粧をするようになり外見も変わっていく。"死んだ"女から"生きた"女に生まれ変わっていくのだ。前半の取っつきにくい印象はどこかに消し飛んでしまい、悦子が少しずつ可愛い女に見えてくる。これも石井なりの(あるいは監督の)創意だろう。
このように悦子の変化に注視すれば、本作はガール・ミーツ・ボーイのドラマと言うことが出来ると思う。ちなみに「空の穴」はこれとは正反対で、孤独な中年男が若い女と出会うボーイ・ミーツ・ガールのドラマだった。「空の穴」を見ていれば、今回は立場を逆転させて描いたんだな‥ということが分かって面白い。
逆に、理一の変化に着目すれば、今作にはちょっとしたホラー・エッセンスも見つかる。魔性の女・悦子に取り込まれてしまった運の悪い青年‥という構造が読み解け、「悪魔のいけにえ」恋愛版というような見方が出来る。このホラー・エッセンスは「鬼畜大宴会」で見せた熊切監督のもう一つの資質だと思う。男性目線で見ていくと少しゾッとするような箇所がある。
今作で唯一謎だったのは、悦子の虫取りの習慣だった。「悪い虫がつく」という慣用句があるくらいだから、おそらく男を寄せ付けない悦子のキャラクターを暗に示すものと捉えられるが、全体のリアリズムに拠ったトーンからするとやや浮いてしまっている。狙い過ぎでかえって不自然に映ってしまった。