母の愛を体現した乙羽信子の熱演が素晴らしい。
「母」(1963日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 民子は2度の離婚経験を持つシングルマザー。女手一つで育ててきた幼子・利夫に脳腫瘍が見つかり手術することになる。しかし、貧しい民子にはとてもそんな大金は用意できなかった。母の勧めもあり、手術費用を工面するために本意ではない相手と結婚することになる。相手は小さな印刷業を経営する田島という男だった。彼のおかげでどうにか利夫の手術は成功する。しかし、民子はどうしても彼と夫婦の関係に踏み切れなかった。そこに家を出て行った父の訃報が届く。
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(レビュー) 息子のために我が身を犠牲にする母の尊い愛を崇高に謳い上げた人間ドラマ。
原作・監督・脚本・美術は新藤兼人。
「裸の島」(1960日)の成功によって大手映画会社に頼らず自力で作品を撮ることを実証してみせた氏は、ここにきて益々自信と気力が充実し、数々の作品を輩出していった。今作はそんな脂がのり切ってきていた頃に作られた1本である。
新藤監督の今作にかける意気込みは、民子を演じる乙羽信子に対する演出からも伺える。本作の彼女の熱演は実に素晴らしく、今回の大きな見所となっている。
映画は民子に降りかかる不幸を描きながら、母親の愛とは?というテーマを真摯に説いている。彼女は利夫のために好きでもない田島と結婚するが、まさにここからして子を思う母の犠牲愛である。
しかし、いくら不本意な結婚相手だとしても、田島は決して悪い男というわけではない。民子との空疎な夫婦生活に愚痴もこぼさず真面目に働き、連れ子である利夫にも自分の娘と変わらない愛情を注ぐ。彼の人柄は、やがて固く閉ざしていた民子の心を開くようになる。そして、民子は田島を受け入れていく。彼女のこの心理を探求していくと興味が尽きない。というのも、ここには彼女の、もう一度子供を産みたい‥という欲求があるからだ。
これは夫婦愛からくる欲望ではないと思った。つまり、すでに出産ありきのセックスであり、民子はあくまで子供を産んで育てたい‥という思いから、田島に抱かれる決心をしたのだと思う。精子を提供する田島にとっては実に惨めな話であるが、おそらく民子は田島と子供、どちらか一方を選べと言われれば間違いなく子供の方を選ぶだろう。それくらい民子の母性欲求は強い。
では、何故彼女はまた子供を産みたいと思ったのだろうか?自分は、これは彼女の母親としての自己存在の証明だったのではないかと考える。
よく言われることだが、夫婦は子供が生まれると男女の関係から子供を中心とした親の関係になっていく‥という。妻は我が子を最優先に考える”母”となり、夫は”男”ではなくなっていく。大体の夫婦はこうなっていくものなのだ。正に民子も”妻”ではなく”母”にならんとしたのだろう。これは当然の心理のように思えた。
尚、終盤の民子の「一緒にこのお腹に入ってる気がするの」というセリフには衝撃を受けてしまった。母親とはこういうことを考えているのか‥と、男である自分には理解できなかった。しかし、これも母としての真理なのだろう。そして、ここまで深く母性愛を追求した新藤監督の眼差しには改めて感服するほかない。
本作には民子の弟・春夫のドラマがサブストーリー的な位置づけで登場してくる。こちらはモラトリアム学生の悲劇の青春談といった感じのエピソードになっている。残念ながらこのエピソードは民子のドラマにわずかながらリンクするものの、全体を通してさほど意味を持つわけではない。かえって映画を散漫にしてしまった感じがした。民子のドラマの背景の一部分くらいに抑えてくれた方が構成的にはスッキリするように思った。
演出は非常に堅実にまとめられている。ただ、幾分特異なタッチも見られ、このあたりは
「人間」(1962日)のような息詰まるような緊迫感を狙っているように見えた。特に、黙々と働く工場のシーンは、田島と民子の二人だけの空間になり、そこに流れる独特の空気感は大変不気味である。
尚、物語の舞台は広島である。他の新藤監督の反戦映画と同じように、今作にも所々に原爆ドームや平和記念公園などが写し出されている。決して前面に出てくるわけではないが、映画の端々に反戦メッセー ジが読み取れたことは、一連の新藤作品を見てきた者としては興味深かった。
私は、愛とか反戦とかじゃなくて、貧困とか根源とか現実とかそんなものを描いた作品に思えました。
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