人間の恐ろしさを描いた所は
「人間」(1962日)に共通するテーマである。
「鬼婆」(1964日)
ジャンルホラー
(あらすじ) 南北朝時代、荒れ果てた土地に母と嫁が住んでいた。二人は敗走する侍を殺して身に着けていた物を剥ぎ取って食料に替えて暮らしていた。ある日、近隣に住んでいた八が戦場から帰ってきた。一緒に行った息子は戦死したと言う。母はずる賢い八の話を素直に信じることができなかった。その後、八と嫁は寂しさを紛らすように愛欲の関係に溺れていく。それを知った母は嫉妬に駆られて恐るべき行為に出る。
楽天レンタルで「鬼婆」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 母と嫁、息子を見殺しにしたかもしれない八。三人の壮絶な愛欲を禍々しいタッチで描いたホラー映画。
監督・脚本は新藤兼人。人間の際限ない欲望を落とし込んだ作劇、演出は大胆且つストイックで、これまで独立プロで製作された社会派的な作品とは一線を引いた野心に溢れた異色作となっている。鬼婆の伝説は各地にあり、ともすれば安易なパロディに成り下がってしまうところを、徹底したリアリズムで描き切った新藤監督の手腕には唸らされる。
今回のテーマは人間の欲望である。この映画には俗物しか登場してこず、セックス、食事、睡眠という三大欲望の繰り返しでドラマが構成されている。これほど怠惰な日常を徹底して描いた作品はそうそうないだろう。
そして、そんな欲望にかまけた日常風景は、外界から遮断されたすすき野原で行われていく。これがどこか寓話的なテイストを醸していて面白い。終盤で登場する鬼の面を被った武将も、見た目からして如何にも悪魔の啓示のように見えるし、今回はかなり寓話的でホラータッチな演出が横溢している。
飽くなき"性"への欲望もまた、乱世という死に満ちた世界ではことさらエロチックなものに映った。他人を殺してまでも生き延びようとする執念、快楽を求めようとする姿は、もはや地獄で繰り広げられるサバトのようである。
たとえば、3人が川で溺れている侍を殺そうとするシーンがある。それまでの対立関係がいっぺんに共謀関係に転じてしまう所に思わず寒気が走った。と同時に、ここは八と嫁が初めて交わすセクシャルな場面でもある。生と死の相克が艶めかしい。
キャストでは、何と言っても母を演じた乙羽信子の体当たりの演技が色々な意味で強烈であった。人間の残酷さを体現する一方で、老いた女の醜態も随所に披露しどこか悲しく写る。メイクが多少大仰だったのは笑えてしまうが、常に苦虫を噛み潰した表情を崩さず、憎しみと嫉妬に駆られる老女の情念を見事に表現している。とりわけ、八に股を開いてクソ婆呼ばわりされた挙句、大木相手に自慰にふけるシーンは実に不憫この上なかった。死んだ息子のことなど忘れてひたすら嫉妬に狂ったメスに豹変していく様は、正に女の"性(サガ)″以外の何物でもないだろう。
先述したように、新藤監督の演出はいつにも増してラジカルなものに傾倒している。これまでとは違った音楽の使い方、カットの切り方、コントラストを効かせた禍々しいモノクロタッチがホラー的に形而下されている。また、川橋の上に水桶を置いただけで何が起こっているのかを一目で分からせる省略ショットには、ベテランならではの手練れが感じられた。セックス、食事、睡眠の反復だけで紡いだ所にも巨匠としての余裕が感じられる。確かに若干退屈を覚えたが、3人の怠惰で代わり映えの無い日常を印象付けることには成功していると思った。
そして、何と言っても今作はラストが強烈過ぎて脳裏から離れない。母の絶叫と共に終幕するこの潔さ。人間は化けの皮を一枚はがせば誰でも鬼になる‥という新藤監督の人間論。それにノックアウトされてしまった。
ちなみに、かのビョークが本作をいたくお気に入りということだが、一体どの部分が琴線に触れたのだろうか?というか、そもそもどこでこの作品を知ったのか‥?何とも不思議な接点である。