田舎出の若者の鬱屈した感情を冷徹に描いた青春犯罪映画。
「裸の十九才」(1970日)
ジャンル青春映画
(あらすじ) 青森の山村で育った山田道夫が集団就職で東京にやって来た。しかし、都会の生活に馴染めず一旦田舎へ帰る。その後、大阪へ渡り小さな工場で住み込みの仕事を始めた。ところが、彼はそこも上手く行かず辞めてしまう。ならばと今度は自衛隊に入隊しようとするが、書類審査で落とされてしまった。自暴自棄になった道夫は横須賀米軍基地で拳銃を手に入れて殺人を犯そうと考える。
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(レビュー) 都会に出た青年が破滅の道を突き進んでいく青春犯罪映画。尚、今作は昭和43年に実際に起こった事件をモデルにしているそうである。青年をここまで追い詰めたものは一体何だったのか?その原因を鋭い眼差しで抉った問題作である。
監督、脚本は新藤兼人。ひたすら陰鬱な青春劇だが、ドキュメンタリータッチで道夫の心の闇を炙り出した所に見応えを感じた。
物語は事件を起した現在と、道夫の生い立ちを描く過去を交錯させながら展開していく。どちらも興味深く見れたが、よりドラマチックなのは過去パートの方である。
ここでは道夫の母親タケの半生も描かれるのだが、これが実に波乱に満ちた人生で面白く見ることが出来た。夫の婦女暴行未遂事件、隠し子騒動、長女のレイプ事件、幼子たちの餓死等、貧困に喘ぎながら数々の不幸に見舞われていく姿は筆舌に尽くし難いほど残酷だ。‥と同時に、女手一つで子供達を育てようと苦闘する姿には尊く強い母性愛も感じられた。
やがて、子供たちが夫々に成人するとタケは孤独な隠居生活に入る。育ててくれた恩など忘れて都会へ出て行ったっきり帰ってこない子供たちの薄情さが、タケの暮らしぶりを一層に惨めに見せる。ただ、道夫と末娘だけはタケの元に残った。タケからしてみれば道夫は他の子たちよりも可愛いくて仕方がなかったと思う。それがまさか都会に夢破れて犯罪に手を染めしまうとは‥。その心中を察すると実に憐れと言うほかない。
このように、この過去パートは基本的にはタケと道夫の母子愛を描くドラマとなっている。新藤監督は度々母親の偉大さ、尊さといった物を作品の中に盛り込んでくるが、今作にもそれがはっきりと見て取れた。
尚、この過去パートは母子愛のドラマ以外に、もう一つ強く印象に残るシーンがあった。それは長女のレイプシーンである。大家に慰み者にされるところまでは予想の範囲だったが、その後が惨すぎる。ここまで非情に徹した新藤演出も珍しいのではないだろうか。有無を言わせぬ迫力が感じられ、最後には暗澹たる気持ちにさせられた。トランプの演出が実に痛々しい。
一方、現在パートでは、犯罪を犯して逃亡する道夫の姿を中心にして描かれていく。途中で母に会いに帰省するシーンがあるが、映画はここを転換点として彼の孤独な胸の内に迫っていくようになる。クライマックスにかけてのボルテージの上げ方は上手く構成されており、窮地に追い込まれていく道夫の切迫感もよく伝わってきた。また、ノワール調なタッチも中々面白い。
「人間」(1962日)、
「鬼婆」(1964日)に共通するような息苦しさが感じられた。
ただし、少し分かりづらいと思った所が1点だけある。元々カットバックが頻繁に繰り返されるので、注意して見ていないと分かりずらい作品ではあるのだが、それでも順序立てて構成されてないと思われる箇所が1か所だけあった。タケが取材陣に囲まれるシーンが割と前半の方に出てくるのだが、これは見る側を混乱させるだけなので不要に思えた。仮に入れるとしても、道夫が犯人である事が分かった後に挿入するべきだろう。そうでないと、時制の往来にちぐはぐ感が出てしまう。
尚、集団就職という事からも分かるとおり、道夫の青春をそのまま現代に当てはめて考える事はちょっと難しくなってきているように思う。ネットワークが発達した現代では環境からして違う。彼のような鬱積を抱える青年は、よほどの田舎でない限りあまり無いような気がする。
ただ、一方で他者との繋がりを持てない孤独な若者というのは現代にも多いわけで、例えば対人関係に消極的な引き篭もりや、無職のニートなどといった問題に差し替えて捉えてみることは可能だと思う。そういう意味では、一定の普遍性を持った作品と言うことが出来よう。
キャストでは、道夫を演じた原田大二郎、タケを演じた乙羽信子、それぞれに好演していると思った。原田大二郎はこの年にデビューを果たしている。同年製作の吉田喜重監督の
「エロス+虐殺」(1970日)でも堕落したチンピラ青年を演じていたが、それとの共通性が垣間見れた。