ボサマの壮絶な半生を綴った壮大なドラマ。
「竹山ひとり旅」(1977日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 青森の百姓の家に生まれた定蔵は、3歳の時に視力が悪化しほとんど目が見えなくなってしまった。母は15歳になった彼にボサマになるこを勧め、借金をして三味線の弟子入りをさせた。師匠と一緒に東北を歩き回り三味線の腕を磨いていく定蔵。その後、師匠が亡くなり一人で旅を続けた。定蔵はそこで様々な出会いと別れを繰り返していく。
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(レビュー) 津軽三味線の名人・高橋竹山の半生を描いた人間ドラマ。
三味線を担いで流浪する定蔵の波乱に満ちた足跡を、極寒の大地に活写した壮大なドラマである。監督・脚本は新藤兼人。尚、ボサマとは他人の家の玄関先で歌と三味を披露して施しを受ける、いわゆる乞食のことである。
何と言っても見所となるのは大自然のロケーションである。粉雪が舞う曇天と荒れ狂う海を背景にひたすら歩き続ける定蔵の姿が寒々しい。その映像から撮影の過酷さが伺える。新藤作品の中で、ここまで大胆にロケーションを活かした作品も珍しいのではないだろうか。とにかく映像は見応えがあった。
物語は基本的に、定蔵と旅で出会う様々な人々の交流を中心にして展開されていく。
中でも、泥棒稼業をしている仙太は一際印象に残るキャラで面白かった。彼の陽気さ、奔放さは、暗くなりがちな旅の情景に明かりを灯し、定蔵との凸凹コンビにユーモアが派生する。
また、この道何十年という作兵衛のバイタリティ溢れる生き様も痛快であった。彼は他に正業を持ちながら、定蔵をサポートするために旅に付いてくる。この時の理由が良い。あっけらかんと「嫁の顔を見なくて済むからだ」と言い放つのだ。女房に縛られて生きるなんてまっぴらごめん‥という、生来の自由人気質がよく出たセリフである。中盤、ふんどし姿で定蔵と浜辺で酒を飲み交わすシーンが微笑ましかった。
一方、定蔵の旅には様々な苦難も降りかかる。最初の結婚はある事件によって破綻し、次の結婚もある不幸に見舞われる。彼は決して家庭人と言うわけではなく、むしろ結婚には向いてない。そもそもボサマは旅をすることが宿命である。そんな彼に所帯を持つことなんか鼻っから無理なのである。
こうして彼は様々な苦難を乗り越えながら名人になっていく。その半生には素直に感動させられた。一つのことを貫いていればいつかきっと報われる‥という人生観を教わったような気がする。
総じてストーリーは軽快に進み、雄大な映像、ユーモラスなエピソードが適度にちりばめられていて最後まで飽きなく見ることができた。
ただ、一方で軽快な展開の功罪もある。この手の伝記映画にありがちな"散漫な印象"。それが作品のインパクトを弱めていると思った。
定蔵の旅が淡々とスケッチされる構成になっているので、ドラマの中心、つまり今作のテーマ、母子愛が少々弱く映ってしまった。終盤の母役・乙羽信子の貫禄の演技は実に素晴らしかった。しかし、二人の愛憎をジックリと煮詰める作劇的な組み立てがなかったために、この熱演が今一つ胸に迫ってこない。また、母は旅に出た定蔵を追いかけて彼の前に度々姿を現すのだが、そんなに簡単に足取りを追えるものだろうか?このあたりの説得力も乏しいものに思えた。もう少し丁寧且つじっくりと腰を据えて母子の愛憎ドラマを描いて欲しかった。