白土三平のコミックを実験的手法で描いた時代劇。
「忍者武芸帳」(1967日)
ジャンルアクション・ジャンルアニメ
(あらすじ) 室町時代、奥州出羽の伏影城で城主が家臣の坂上主膳によって暗殺された。城主の息子・重太郎は復讐を果たそうとするが、主膳の妹で忍者の蛍火に返り討ちにされ、そこを謎の男・影丸に救われた。影丸はその後、重税にあえぐ農民と野武士を率いて伏影城を攻め落とした。主膳と蛍火は辛くも逃げ延び、その先で明智光秀と数奇な出会いを果たす。一方、重太郎は父の仇を討つために修業の旅に出て、かつての恋人・明美と再会する。二人の前にあの影丸が再び姿を現す。
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(レビュー) 白土三平作の同名漫画を鬼才・大島渚が映像化した作品。といっても、実写映画ではない。実際の漫画のコマを1コマずつカメラで撮りながら、キャラクターのセリフを俳優が喋るという方法で撮られている。本当にマンガをそのまま読んでいるような感じで、果たしてこれを映画として認めていいものかどうか‥判断に窮する。
しかも、物語はナレーションを中心にかなり駆け足気味に展開されるので、全体的にかなり窮屈な感じを受けた。これでは物語本来のドラマチックさも抒情性も中々出てきにくい。
ただ、大島が敢えてこの手法にこだわった意味は、こうも想像できる。
手塚治虫によって確立された戦後日本漫画が、極めて映画的手法を持った表現であることは、おそらく誰もが認める所であろう。ロシアの映画作家クリショフやエイゼンシュテインによって創生されたモンタージュ理論は映画の未来を大きく変えた。それが手塚のマンガにも取り入れられている。大島渚はそうした日本の戦後漫画の性質を知った上で、このようなスタイルで実験的な映画作りを試みたのではないだろうか。
実際、漫画の1コマ1コマは映画の1カット1カットと同じ意味を放ち、何ら不自然なくストーリーが展開されている。
尚、荒れ狂った鼠の大群が荒野を迫りくる"地走り"のシーンは、カメラワークや効果音の威力も相まって実にパワフルであった。漫画のコマ構成がいかにモンタージュ的な構成に基づいて設計されているかがよく分かる。
このように漫画好きな人には色々と興味が尽きない作品だと思う。また、白土漫画の描線の勢い、緻密さもよく分かるのでファンにとっては楽しめる作品になっているのではないだろうか。
尚、物語は最後に非情な現実を突きつけて終わる。戦国の乱世を渡り歩いた忍者たちの末路はひたすら陰惨で、それは争いの歴史を繰り返してきた愚かな人間の姿そのものとも言える。ドラマそのものが訴えるテーマはいたって普遍的である。