現実と虚構を彷徨いながら男女の性の探究が綴られている。
「新宿泥棒日記」(1969日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) モラトリアム青年・鳥男は新宿の大通りで万引少年の大立ち回りを目撃した。彼はその足で本屋へ向かい自分も万引きをした。しかし、それを女性店員ウメ子に見つかってしまう。社長の前に連れ出された鳥男は万引き少年と同じように開き直った。翌日、鳥男はウメ子に掴まれた手の感触が忘れられず、再び同じ店で万引きをはたらきわざと捕まる。その夜、二人は関係を持った。しかし、それによって互いの気持ちは逆に離れてしまう。
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(レビュー) 万引き青年とそれを掴まえた女の愛憎をシュールに綴った幻想的な作品。
監督は大島渚。脚本は大島と田村孟、佐々木守、足立正生といった面々が務めている。
これだけたくさんの人間が脚本をこねくり回してしまうと熟成どころか気泡が抜けてしまい、散漫な味になってしまうのは仕方がない所だろう。現に、今作はシーンを繋ぐ中間描写が極力排除されていることもあり、場面の不整合が目につく。今回大島自ら編集も担当しているので、そのあたりはわざと見る側を眩惑させようとしているのだろうが、これでは映画を見るリズムというものが狂わされてしまう。
もっとも、この不自然極まりない構成は先の展開の読めなさにも繋がっており、刺激に満ちた実験的作品と評することも可能である。このあたりは好き好きと言うこともかもしれない。ただ、少なくとも万人受けする作品でないことだけは確かである。
物語はいたって普通のボーイ・ミーツ・ガール物としてスタートする。
今作の鳥男のように、本屋の女性店員に性的な興奮を覚えるというのは何となく理解できなくもない。ウメ子が勤めているのは現在でも新宿の一等地にある紀伊國屋書店である。ここには哲学、美術、医学、様々な専門書が取り揃えられており、たとえるなら"知識の泉”の空間と言った所か。そんな場所で働いているウメ子であるから、彼女の鋭い目つき、凛とした佇まいには、貞操を重んじる淑女的な雰囲気も漂う。彼女の乱れる姿を想像して興奮してしまう鳥男の気持ちは、男なら理解できるのではないだろうか。
こうして二人の恋は始まるのだが、何という皮肉か‥セックスをしたことでそれは終わりを告げる。二人とも想像していたような快感を得られなかったのである。映画はここから二人にとっての性的快楽追求のドラマに突入していく。かなりシュールに展開されるので、見る者はある程度覚悟をしながら見ていかないとついて行けないだろう。現に自分も翻弄されっぱなしだった。
まず、今作には実名で俳優や学者、社長たちが登場してくる。
例えば、紀伊國屋書店の社長は社長本人が演じている。また、鳥男とウメ子が社長に連れて行かれるセラピーには本物の性科学者が登場し、延々と二人にセックスの講釈をする。また、鳥男とウメ子が立ち寄る酒場には、佐藤慶や渡辺文雄といった俳優達が本人役として登場し、酔っ払いながらセックス談義に花を咲かせる。
カメラの回る音が平気で入ってくるし、果たして演技なのか素なのかも判然としない。鳥男とウメ子が目撃するセックス講義、セックス談義がほとんどドキュメンタリーのように映し出されていくのだ。
後半に入ってくると、序盤に登場した万引き少年が鳥男とウメ子の前に現れて、更に混沌とした世界に突入していく。ちなみに、この少年役は状況劇場で有名な唐十郎が演じている。鳥男達は唐十郎の舞台に上がって劇中劇の芝居に参加していくのだ。それまで現実と虚構の狭間を彷徨っていた二人が、ここから完全に舞台劇の中、つまり虚構の世界に入り込んでしまう。
正直な所、中盤までは現実と虚構のギリギリのラインで面白く見れたのだが、ここまで虚構の世界に埋没してしまうとワケが分からなくなってしまう。余り面白いとは感じられなかった。唐十郎のイケメン振りが堪能できるのでファンなら楽しめるだろうが、そこはまた別の話である。この映画の本文ではない。あくまで今作のテーマは鳥男たちの性の探究である。
大島の演出はかなりアバンギャルドに傾倒しているが、映像、音についてのセンスには唸らされるものがあった。画面を横行するタイポグラフィー、映像と音の関係を脱構築するソニマージュ、洪水のように溢れ出す書物からの引用等、J・L・ゴダールの影響がそこかしこに見られる。松竹ヌーヴェル・ヴァーグと称された大島の真骨頂が確認できた。
尚、先日見た園子温監督の
「恋の罪」(2011日)でも引用されていた田村隆一の「帰途」の一節「言葉なんておぼえるんじゃなかった~」がここでも登場してくる。
今作は一部でパートカラーに切り替わるが、これも視覚的な刺激を追求した大島ならではのこだわりで面白かった。特に、午前五時、新宿大通りを歩く二人の姿を捉えた映像の虚無感といったらこの世の物とは思えぬシュールさで魅了された。現在ではCGを使っても中々撮れない風景だろう。