今こそ考えられなければならない問題がここにある。
「ヒバクシャ 世界の終りに」(2003日)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 湾岸戦争で劣化ウラン弾の被害を受けたイラクの子供たち、巨大原子炉があるアメリカのハンフォードの住人達、原爆を投下された広島、長崎の人々。今作は彼らヒバクシャたちの実態に迫ったドキュメンタリー映画である。
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(レビュー) 監督の鎌仲ひとみは原発問題をテーマに掲げて社会派的なドキュメンタリーを撮っている作家で、本作以外にも数本同じテーマのもとで作品を作っている。今回の映画を見て思ったのだが、彼女の製作姿勢には一切の迷いや揺るぎが感じられない。人体、自然環境に甚大な被害を及ぼす原子力関連事業、核物質生成時に出る廃棄物で造られた劣化ウラン弾の恐ろしさといったものを取り上げながら、保証問題に背を向け続ける国のありよう、この深刻な問題に向き合おうとしない多くの人々の無関心を痛烈に非難している。
実際、日本でも3.11以降、原発関連のニュースは絶え間なく取り沙汰されているので、ここで描かれている問題は他人事ならざる思いで受け止めることが出来た。
映画はイラクのパートとアメリカのハンフォードのパート、そして日本のパートに分けられる。
まず、イラクのパートは湾岸戦争時に使用された劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ子供たちの姿が捉えられている。驚くべきは抗がん剤の輸入が経済制裁によって不足していることだ。医師たちはこれでは満足な治療が行えないと嘆く。武器を持たざる弱者を苦しめる戦争がまだまだ続いているこの状況を目にし、胸を痛めてしまう。
次のアメリカのパートでは、巨大核施設の近隣住民の悲惨な状況が紹介されている。放射能漏れで健康に悪影響を及ぼした農園経営者トムのインタビューを中心にしながら、周囲の犠牲者の実態、政府に対する責任追及の戦いが描かれている。この土地は言わば日本で言う原発村のような経済サイクルが定着しており、賛成派と反対派が二分されている。施設の風上に住む人々には健康被害がほとんどなく、まるで観光名所よろしく原発をモチーフにしたカフェまで存在し人気を博している。いかにもアメリカ人らしいユーモアだが、一方のトムたち風下に住む反対派にとってはたまったものではない。嫌なら住むなという論法は万人に当てはまる物ではないと思う。果たして長年住んできた愛着のある土地を手放すことがそう簡単にできるだろうか?そういった個人の人生観にまで及ぶ難しい問題であり、改めて考えさせられた。
また、地元で採れたジャガイモやリンゴがろくな検査も受けずに出荷されている現状には空恐ろしさを覚えた。
日本のパートでは、アメリカ取材にも同行した肥田舜太郎医師を中心に原爆被害者の実態が紹介されている。肥田医師自身、広島の原爆を体験しており、放射能の人体への悪影響を唱える核兵器廃絶論者である。終盤、彼の研究が恐るべき仮説を打ちたてるのだが、これには背筋が凍る思いがした。チェルノブイリ原発事故、中国の核実験、これらが日本人の母体や乳幼児に深刻な実害を及ぼしているかもしれないというデータが提示されている。果たしてこれをどう捉えるかは見た人それぞれに託されるが、こうしたデータは中々表には出てこないものであり興味深い。
本作は基本的にヒバクシャたち、核廃絶論者たちに向けられたインタビューで構成されており、娯楽性は確かに乏しい。そのため、人によっては敷居が高く感じられるかもしれない。しかし、見れば色々と考えさせられるし、知られざる実態を教えてくれるという意味でもとても勉強になる映画だと思う。
敢えて言うなら、終盤の肥田医師が見せてくれたようなデータをもっと豊富に提示してくると尚良かったかもしれない。そうすれば作品が訴えるメッセージにも更に説得力が生まれてきただろう。