「最後は金ですから」発言が全てを物語っている。
「六ヶ所村 ラプソディー」(2006日)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 青森県六ヶ所村 に建設された核燃料再処理施設の弊害を問うたドキュメンタリー映画。
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(レビュー) 「ヒバクシャ 世界の終りに」(2003日)の鎌仲ひとみ監督が手がけたドキュメンタリー作品。
前作の最後の方に六ヶ所村の風景が少しだけ登場したが、それは今作の予告だったわけである。世界のヒバクシャたちに目を向けた前作の流れを受け継いで作られた本作もメッセージは一貫している。核開発、原発による放射能汚染に警鐘を鳴らすような作りになっている。
六ヶ所村には全国から運び込まれた使用済み核燃料からウランとプルトニウムを取り出す工場があり、2004年にはウラン試験が開始され着々と本稼働に向けて準備が進められている。
作品に登場するのは反対派や近隣住民、工場に勤務する作業員、廃液汚染の被害を受ける漁師たち、村会議員、原子力安全委員会の委員といった人物たちである。また、3.11以降マスコミへの露出が多くなった京大原子炉実験所の助教授・小出裕章氏も登場してくる。本作はこうした様々な立場の生の声を聞けるだけでも勉強になることしきりである。
基本的に近隣住民の声は賛成と反対、中立に三分されている。大気中に微量の放射性物質が放出されることで農作物に甚大な被害を受けている農家のの人々はこの現状を憂いている。その一方で、実害を受けない多くの人々はこの問題をそれほど深刻に捉えていない。職と補助金を貰って事の成り行きを傍観するだけである。立場が違えば意見も異なる。これが現実なのである。
そんな中、印象に残ったのが、原子力安全委員会の委員が「最後は金ですから‥」という身も蓋もない発言をするシーンである。結局、金で解決するのが一番手っ取り早いということは、先の傍観者たちの言にも表れているが、これは国と電力会社、そして多くの住人にとっての本音なのだろう。しかし、その金と引き換えに失う物があるということも忘れてはならないと思う。第一に村の対外的なイメージは悪くなる。また、近隣住民は常に不安を抱えながら生活しなければならなくなる。もし再処理施設が稼働すれば事故の危険性だけでなく、日常的な大気汚染や水質汚染も続くことになるのだ。
尚、有機栽培農園を経営する男性が原発を地雷に例えた話は言いえて妙だった。床下に地雷が埋まってる家には誰だって住みたくはない。それはその通りだと思う。
また、施設の風下で米を作っている女性はこうも言っていた。「中立でいることは賛成していることと一緒である」これも自分にとっては鋭い指摘に思えた。
ちなみに、本編では2005年にイギリスで実際に起こった再処理工場事故のことが紹介されている。これも一つのケーススタディとして興味深く受け止められた。